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(1989年10月〜1998年9月) |
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22)2台あれば4人乗れる 1989
それは1本の電話からはじまりました。 「近々MGBを手放すことになったのでよかったら乗る気はないか。」と友人。 「わかりました。 乗りましょう。」と即答したいのですが、家内とも話す必要があるので後日返事をすることにしました。 「乗車定員違反で、神奈川県警のお世話になったし、子供たちも、大きくなった。 いつまでもMGB1台では限界なので、車をもう1台入手する。」と私。 「そうねぇ。 で、どんな車なの?」と家内。 「イギリスの車で、1980年に生産中止になっているので、新車ではなく、中古車で・・・。」と説明にならない説明をしましたが、はっきりしなさいと家内に詰問され「じつは年式違いのMGB。 2台あれば4人乗れる。」と白状しました。 いつもはおだやかな家内の表情ですが、この時ばかりは目は3角につりあがり、鼻も3角にとんがり「いったい誰が運転するのよっ!」と、ひどく叱られました。 家内は運転免許をもっていないのです。 「もーっ。 なにを考えているのよ。 いい大人が。 ほんとに、もーっ。」 家内は完全にうしさん状態。 「MGBと聞いただけで舞い上がってなにも考えられなくなるのでしょっ。 もーっ。 信じられない。」 |
(1989年 東名高速 海老名SA) |
(1991年 東名高速 海老名SA) |
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「信ぜよ、さらば救われん。」とは、とても言えませんでした。 ただひたすら1にお願い2にお願い、34がなくて5にお願い。 しぶしぶながら家内は2台目のMGBを認めてくれたのです。 感謝しています。 異音がしたウオーターポンプを駐車場で交換して車両を受けとりました。 あらたに入手したMGBの車体色はホワイト、1980年6月の生産車で日本の初年度登録は1980年11月。 日本レイランドが輸入し日英自動車が販売した車です。 こうして1974年式と1980年式2台のMGBと4人家族の生活が、1989年10月にはじまりました。 23)スポーツカー 1989〜2005 「運転すること自体を楽しむために作られた車。 実用車に比べ車高が低く、加速性能に優れている。」 これは三省堂発行の大辞林第2版による「スポーツカー」の語義です。 さすが大辞林。 簡潔に定義しています。 MGBは実用車より車高は低いですが加速性能が優れているとは言えません。 奇しくも1962年、同じ年に発売されたダットサンフェアレディ1500(SP310)と比較するのであればMGBは充分に「スポーツカー」でした。 しかし私がMGBに乗りはじめた1980年、その加速性能は他車より劣っていました。 |
1961年に発表 1962年に発売されたSP310 (1994年 メキシコシティ) |
同じ年に生まれた「好敵手だ」と思っていました (1963年の第1回日本グランプリ参加車) |
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| MGBもSP310も1950年代終わりごろの基本設計です。 しかしながら、この基本設計を大幅に変えることなく1980年まで生産されたのがMGBでした。 私が2台目のMGBを入手した1989年当時、フェアレディは3000ccV6エンジンを搭載していたのです。 その差は歴然としていました。 しかし「動力性能の差」が「魅力の差」にならないことに、私は気がつきはじめていました。 |
おなじ1980年式どうしの動力性能を比べた場合 出力・トルクともにフェアレディZが優っています (2005年 新横浜駅 篠原口) |
Z32は3000ccV6エンジンを搭載 1980年式MGBとの動力性能差は歴然としていました (2007年 金沢Zカーミーティング2007) |
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ファミリーカーより動力性能が低いMGBは「スポーツカー」ではない。 MGBに乗りはじめた1980年「スポーツカーではなく単なるオープンカー」と私は考えました。 見劣りする加速性能や簡単にドリフトするコーナリング特性をスポーツカーと呼ぶには物足りないと感じたのです。 でもこの考えは間違っていました。 1989年の私ならば「もちろんMGBはスポーツカーです。」と答えたでしょう。大辞林の定義する「運転すること自体を楽しむために作られた車」とはどういうことかをMGBをとおして感じとったのです。 「最大出力やトルクが決定的な魅力にはなり得ない。 最高速度や加速の良し悪し、どれだけ速くコーナーをクリアできるかは絶対的な条件ではない。 運転することの楽しみは、もうすこし違う次元にある。」と私は考えはじめました。 今にして思えば、これが25年間MGBに乗り続ける原動力でした。 もしMGBに乗らなければ、私は何回も車を乗り換えていたでしょう。 より大出力で、高トルクで、スピードの出るスポーツカーに。 技術は常に進歩しますので、設計から10年もたてば最新型と比べて動力性能や加速性能が見劣りするのは、当然のことでしょう。 仮にそうなった場合、スポーツカーとして魅力がなくなるのでしょうか? 2005年の私ならば「古い車であろうが最新型であろうがスポーツカーは、いつでもスポーツカーです。」と答えます。 「運転すること自体を楽しむために作られた車」は色あせることなく、車齢にふさわしい雰囲気をただよわせ、いつまでも魅力ある車なのです。 |
長野ノスタルジックカーフェスティバル (2005年) |
長野ノスタルジックカーフェスティバル (2005年) |
長野ノスタルジックカーフェスティバル (2005年) |
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| 「ウッディパーク鹿沼ステージ2005」や「長野ノスタルジックカーフェスティバル2005」に参加して、私はそう考えるようになりました。 トヨタスポーツ800、日産フェアレディZやマツダコスモスポーツをはじめとする多数の国産車。 1926年式ベントレーやMGのJ2ミジェット、K3マグネットほか多くの輸入車。 いずれも車検を取得していつでも公道を走ることができる状態でエントリーしています。 エンジン出力や最高速度、加速性能は現在の高性能車と同等ではありませんが、手塩にかけて整備したオーナー自身がステアリングを握り友人あるいは家族と公道を走るその姿は、まさしくスポーツカーでした。 |
ウッディパーク鹿沼ステージ2005 (2005年) |
ウッディパーク鹿沼ステージ2005 (2005年) |
ウッディパーク鹿沼ステージ2005 (2005年) |
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「運転すること自体を楽しむために作られた車」はアクセルペダルに足をそえるだけの田園風景のゆるやかな走りでさえ、まぎれもないドライブの歓びに変えるのでしょう。 ですから、たぶん、最高速度や加速性能が最新式の車に比べて見劣りするようになっても、スポーツカーは時代と世代をこえて人々に支持されドライバーの心を惹きつけるのだと思います。
24)メキシコへ 1993 1993年から1998年まで家族を帯同してのメキシコ勤務になりました。 完成車は原則輸入禁止と思っていたのですが、これは商業ベースの輸入に適用されるもので、よく調べてみると私の場合は、暫定輸入措置が適用されることがわかりました。 そこでMGBの登録を抹消し、メキシコに輸出することにしました。 梱包は20フィートコンテナ。 輸送ルートは、東京からロングビーチまでが海路、ロングビーチからメキシコシティまでは鉄道です。 輸入通関は自家用車の暫定輸入窓口のあるメキシコシティ国際空港の税関で行ないました。 |
(1995年 アパートの駐車場) |
(1997年 グアダラハラ近郊の高速道路) |
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1994年4月、コンテナの扉を開けて1980年式MGBと対面。 税関職員がコンテナ内に入り実車検査を行ない、暫定輸入許可ステッカーをウインドシールドに貼付けてくれます。 また同時に暫定輸入許可証の発行を受け、これでMGBをコンテナから出すことができます。 税関職員の指示で作業員がラッシングロープを外し、私は税関職員にうながされコンテナ内に入りました。 エンジンオイルのレベルを確認してからMGBに乗り込み、シフトがニュートラルであること確認し、バッテリーケーブルをつなぎ、イグニッションをオン。 電磁式のフューエルポンプが作動しキャブレターにガソリンが供給されはじめます。 充分にガソリンが供給されると燃料パイプ内の圧力があがりフューエルポンプの作動音が変化します。 その時がスターターを作動させるタイミングです。 にわとりのようにコッコッコッコッというポンプの作動音が、コッ、コッ、コッ・・・と遅くなった瞬間にクランキングを開始します。 エンジンが始動するか否か緊張する瞬間です。 2ヶ月のインターバルをものともせず数秒のクランキングでエンジンは始動しました。 ゆっくりとコンテナから出るとまわりの税関作業員から拍手を受けました。 空港税関で自動車が入ったコンテナを開梱するのはめずらしく、日本からの暫定輸入は前代未聞。 まわりに人が集まり質問攻めにあいました。 国籍は違っても自動車好きはすぐに知り合いになれることを知ったうれしい出来事でした。 こうして最初のMGBは1994年にメキシコの地に解き放たれました。 1974年式MGBを日本からメキシコに輸出したのは1995年です。 25)メキシコMGカークラブ 1995〜1998 あたらしいオモチャを買ってもらった子供のようだと家内は言います。 週休2日制のメキシコで土曜日は、早朝から起きだし、駐車場の2台のMGBにとりついて、モソモソとアライグマのように、エンジンルームに頭を突っ込んだり、ジャッキアップしてボディの下にもぐったりしていました。 アパートの自室から見下ろすと、ハムスターのようだったそうです。 ひととおりチェックとメンテナンスとを済ませると外出の準備OK。 毎週末の買い物もピクニックもドライブも「家族4人とMGBで行く」という日々が再びはじまりました。 日本とは違いメキシコは乗車定員には寛大で「乗車定員=乗れるだけ」の状態でした。 日本で貼られた「MGB 4人乗り禁止」の護符はメキシコで剥がされたのです。 |
(1995年 メキシコシティ レストランカンポマルテ) |
(1995年 メキシコシティ レストランカンポマルテ) |
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1995年に、私たちはメキシコMGカークラブの人たちと知り合いました。 メキシコシティのショッピングセンターの駐車場で、1台のMGAに出会ったのです。 こちらはMGBに4人乗り、MGAはご主人、奥様、ご長男の3人乗りでした。 それは軽い会釈ではじまりました。 次に車から降りて、挨拶と家族の紹介。 お互いのMGについての説明と質問などなど。 このMGAの家族全員がメキシコMGカークラブのメンバーであり「毎月1回、日曜日に朝食会を兼ねたグラブミーティングをやっているから、よろしければご家族の皆さんで参加してください。」と招待をうけたのです。 |
(1996年) |
(1997年) |
(1997年) |
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| これが私たち家族4人と2台のMGBと、メキシコMGカークラブの出会いでした。 数週間後「朝食会」のレストランを訪れた私たちは陽気で開放的なメンバーの歓迎を受け、やがて様々なイベントに参加するようになりました。 MGをキーワードに国籍や人種、年齢や職業にとらわれることなく同好の士が親交をふかめるという、とてもすばらしい経験でした。 |
コンクールデレガンス (1997年) |
ジムカーナ (1997年) |
タイムラリー (1998年) |
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レースチューンのアルピーヌA110とは勝負になりません 助手席は次男です (1996年 パチューカのサーキット) |
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26)クロームメッキのグリルとバンパー 1997 1981年に重いラバーパンパーをはずしたMGBを1度だけ運転しました。 その時の操舵性を忘れたことはありません。 4人の家族とイベントに参加していると、クロームメッキのグリルとバンパーを装着したMGBに乗りたいという願いが強まりました。 きっかけはメキシコMGカークラブでの会話でした。 メキシコ国旗は「赤、白、緑」の三色で、私のMGBは白と緑なのでもう1台赤のMGBを入手すると3台で3色、メキシコ国旗と同じになるという話をしていると、「色は違うけれど2台ともラバーバンパー。 1台をクロームメッキのグリルとバンパーにすれば、それぞれ特性の違うMGBの運転を楽しめる。」とメンバーが言ったのです。 「いやいや、セニョール。 2台あるのだから1台はオリジナル、もう1台はチューンしてレース仕様にするのがいいと思う。」と別のメンバーが発言しました。 「待て待て。 フルチューンのレース仕様は、サスペンションが硬すぎるな。 将来4人家族で2台そろってツーリングするなら1台はノーマルのオリジナル、もう1台は軽度のラリーチューンだ。」「絶対に3台だ。 緑と白と赤の3台にして、1台はノーマル、残る2台はラリーチューンとレースチューン!」と意見百出、議論白熱。 家内いわく「子供みたい。」 |
(1996年 パチューカのサーキット) |
(1997年 アステカ競技場) |
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| 結局、クロームメッキのグリルとバンパーでの走行特性をまず確かめ、ノーマル状態のMGBをよく理解してから次のステップに移行するのが得策だろうということで議論は落着し、1974年式のMGBを改造することにしました。 緑、白、赤のMGBが3台そろうことを恐れていた家内はホッと安心。 作業はメキシコMGカークラブのメンバーの修理工場で行ないました。 |
車齢20年相応です (1997年) |
グリーンに再塗装しました (1997年) |
メキシコMGカークラブのメンバー (1997年) |
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夜空の星に願ってから16年 夢が現実になりました |
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| 思い返せば1981年、とても重いラバーバンパーを取り付けながら「いつかはクロームメッキのグリルとバンパーに・・・。」と、夜空の星に願ってから16年。 ようやく夢がかないました。 |