第11部 社会にでる子供たち
(2008年1月〜2008年8月)
80)前方視界 2008
  日本海側や東北、北海道は荒れた天気になるという天気予報でしたが、横浜は穏やかな天候の年末年始をむかえました。  正月休みで交通量がそれほど多くない1月第1週の朝、1980年式MGB(KH◎S)で家内と元町を訪れました。 早朝の冷え込みは厳しいものの、晴天にめぐまれて気温は順調に上昇していきます。 2008年最初のオープン走行を楽しみました。  
オープンで走行した1980年式MGB
新年しかも開店時間前ゆえ人通りの少ない元町
時間調整を兼ねて山手本通りを散策することにしました
(2008年1月)
MGB
  全高を極力おさえるように設計されたオープンカーのフロントウインドウは、セダンやクーペと比較して低いのが特徴です。 私が経験した最右翼はポルシェ356のスピードスター。 そしてMGミジェットやMGBも大同小異。 その結果、当然のことながらフードを閉じた状態の前方視界はきわめて限られます。
MGBの運転席からの視界
通常のドライビングポジションの視線で撮影
(2008年1月)
ほぼ同じカメラアングルでフードを閉じた状態
フードが視界の半分をさえぎります
(2008年1月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  「幌をかぶせたらこんなになっちゃうの?」と家内も意外な表情でした。 「よくこれで事故をおこさないわね。」 5mの高さに設置された標準的な自動車用の信号機。 フードを閉じて運転すると、約50mほど手前で信号機は上方死角にはいります。 死角にはいる直前の青信号が停止線にさしかかった時点で黄色や赤にかわっている可能性は、否定できません。 時速40kmで約5秒、時速30kmでは約6秒のブランク。 意識して視点を変えても無理のない姿勢で信号機を視認できるのは手前約30mです。
2連ワイパーにかえて採用された3連ワイパー
最初は米国専用仕様でしたが順次拡大採用されました
(2008年1月)
家内が自分の視点に合わせて助手席にて撮影
路面はほとんど見えません
(2008年1月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  1980年8月から27年間乗り続けているためそれほど意識していませんでしたが、画像を比較しておどろいたオープンとクローズの違い。
  ウインドシールドが低い自動車の宿命さ、だから僕たちも普段はオープンで走りまわっているんだ。 「雨が降ったらフードは閉じる。 でもワイパーブレイドは短いタイプしか装着できないんだ。 たぶん安全性の観点からMGミジェットもMGBも2連を3連ワイパーに変更して、拭き取り面積を確保したんだよ。」
  助手席から家内の視点で撮影。 異なる視界に家内と私は顔を見あわせました。 「数センチの差でこんなにちがうのね。」 「上方視界は満足できるレベルだけど、路面がほとんど見えていない!!」  こんな状態でMGBに乗っていたなんて・・・。
もっとも緩やかな坂道で山手本通りへアクセスする代官坂
クリフサイドの脇のトンネルで一度反対側にぬけます
(2008年1月)
代官坂トンネルの壁面に
元町小学校の児童の絵画を展示してあります
(2008年1月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  長年つれそってきたけれどもこれほど異なる視界でまわりの景色を眺めていたとは、お互いに自覚していませんでした。 「違う視点だから運転席と助手席お互いに補いあって、うまくいくんだ。 同じ視点だったらきっと僕たちは離婚していただろう。」と冗談を言いながら、時間調整のため私たちは山手本通りにむかいました。
トンネルをでて元町小学校前で方向を180°転換
坂をのぼって山手本通りにむかいます
汐汲坂や谷戸坂や尻見坂よりなだらかなルートです
(2008年1月)
丘陵の稜線に沿って山下から根岸に続く山手本通り
外国人居住区だった山手地区は
教会や住宅ともに洋風の建物が多いのが特徴です
(2008年1月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

ブラフカフェ モトヤ
私が高校生の時は普通の民家
社会人になった当時は1Fが喫茶店
今はケーキショップ(1F)とカフェ(2F)
(2008年1月)
その昔イタリア領事館があったのでイタリア山
現在はイタリア山公園として整備されました
明治政府の外交官だった内田定槌邸
東京渋谷の南平台から1997年に移築
(2008年1月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

頬杖をつきながら絵を描く少女の胸像
内田定槌邸
(2008年1月)
ステンドグラス風の装飾が施された室内の扉
内田定槌邸
(2008年1月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  山手本通りは、山下から根岸にかけて小高い丘の尾根に沿って続く道です。 横浜開港とともに外国人の居留地として開拓された山手地区には、洋風の建物が点在します。
  イタリア山から代官坂上に戻り、山手本通りを港の見える丘公園の方向に歩き続けると、今はなきセントジョセフインターナショナルスクールへの入り口だった元町公園交差点にたどり着きます。 周辺にはブラフクリニックやセントジョセフの寄宿舎だったベーリックホール、山手234番館があり、元町公園内にはエリスマン邸が移設されています。 また元町公園脇の猫の博物館の近くに山手76番館があります。
イタリア山公園のブラフ18号館
1991年まで 山手教会の司祭館でした
1993年に現在地に移設復元
(2007年11月)
>ブラフ18番館の1階
すぐれた採光の明るい廊下
サンルームをおもわせるデザインです
(2007年11月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

ブラフ18番館の2階に飾られている
横浜港と山手地区の古地図
(2008年1月)
暖炉は1本の煙突を共用して2部屋に対称に配置
実に合理的なレイアウトです
(2008年1月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

1930年に建築された英貿易商ベーリック邸
セントジョセフの寄宿舎でした
(2008年1月)
山手127番地に1926年に建築されたエリスマン邸
1990年に現在地の元町公園に移設
(2008年1月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

山手76番館
猫の博物館近くの洋館です
(2008年1月)
山手234番館
昭和初期に建築された共同住宅
(2008年1月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

2階建てで4家族が入居可能の共同住宅
山手234番館
(2008年1月)
正面玄関をはさんで間取りは左右対称ですが
細かい調度はそれぞれ異なります
(2008年1月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

元町通り内のパーキングメーターにMGBを移動して
私たちは2008年最初のウインドウショッピング
(2008年1月)
チャーミングセールの戦いを家内はすでに開始しました
この時期に特有の強い光と影のコントラスト
(2008年1月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  山手地区を散策した私たちは元町に戻り、1980年式MGB(KH◎S)を移動。 家内はいそいそとウインドウショッピングを開始しました。 パーキングの制限時間は60分。 いつもは緩慢な家内の歩調はおどろくほど速く「ラウンド、ワン!」とつぶやいて私は、その後を追いました。 2008年の戦いはすでに始まっています。



81)人生のフライホイール 2008
  「光陰矢の如し」のたとえや「月日が経つのは早いもので」という言いまわしのとおり、私たちは過ぎゆく1年をますます短く感じるようになりました。  
まず手はじめにトヨタスポーツ800
私にとってはこれがスポーツカーの原点
サングラス姿で運転席にたつ末弟にとっても
トヨタスポーツ800は衝撃的だったかも知れません
(1973年4月 横浜 自宅前)
ホンダスポーツ800やSR311をあきらめて
1980年に入手した1974年式MGB
動力性能は平凡で長期間乗り続けるとは思いませんでした
満開の花を背景に助手席の末弟はこのとき小学6年生
(1981年4月 丹沢 宮ヶ瀬)
1980年式 MGB
1980年式 MGB
  「まず手はじめにトヨタスポーツ800、次はホンダスポーツ800、そして30才までにダットサンフェアレディ2000」という人生設計をたてていた小学生のホンダスポーツとSR311の夢はやぶれ、かわりの自動車はMGB。 年をとってトヨタ2000GTへの扉をひらくことなく、私は同じMGBに乗り続けています。
白馬の王子さまを夢見ていた少女は
(1982年6月 ナッソウ バハマ)
とてもはずかしい変な自動車に乗る男性とめぐりあい
(1981年12月 ハミルトン バーミューダ)
1980年式 MGB
1980年式 MGB
  白馬の王子さまを夢見ていた少女は、とてもはずかしい変な自動車(家内のいうMGBです)を乗りまわす男性とめぐり会い、結婚してすでに26年。 「生まれ変わったら今度はピアニストかバレリーナをめざす。」と言っています。
授かった子供は長男と次男の2人
(1988年1月 アテネ郊外 ギリシア)
MGB

幼い頃から自動車に親しんだため
(1989年2月 根岸森林公園 横浜)
子供たちは親に似て自動車好きに育ち
(1995年1月 アカプルコ メキシコ)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  平凡なように思えても、私たちの人生はそれなりに起伏に富んだものでした。 楽あれば苦あり、悲しみがあれば喜びもあり。 時として何のために生きているのかを疑い、生きるために何をすべきか迷うこともありました。 手段とは何か、目的とは何か。 MGBに乗り続けることが目的か? 家内に言わせると、私の人生の目的はMGBに乗り続けることに思えるそうです。
いつの日かこの2台でツーリングをしたいと考えていました
(1990年4月 自宅 横浜)
MGB
  「否。 MGBに乗り続けることは単なる手段であり、その目的はMGBで僕たちが何をするかにある。」と主張しても説得力はないかも知れません。 しかし1972年当時トヨタスポーツ800の運転席でサングラスをかけて笑っていた末弟が、1974年式MGB(KH◎N)でイベントにエントリーしている嬉しそうな姿や、幼かった長男や次男がMGBのステアリングを握る姿は、私に明日への道しるべを提供してくれます。
1974年式MGB(ゼッケン117)
運転席の末弟 助手席にその長女
(2007年4月 ウッディパーク鹿沼ステージ)
1974年式MGB(ゼッケン60)の母
長男は1980年式MGB(ゼッケン61)のドライバー
(2006年11月 ヴェトロモンターニャ)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  べトロモンターニャの開催日を指折り数えて、荷物をつくったり天気予報にあわせて服を選ぶ母の姿にも、特別な感慨がわきおこります。 さらにイベントが終わったあと留守番役だった家内や父に、ベトロモンターニャのことをくりかえし話す楽しそうな母を見ると、MGBに乗り続けることができて本当によかったと思います。
1974年式MGB(ゼッケン48)の末弟
次男(左)は1980年式MGBのドライバー
(2007年11月 ヴェトロモンターニャ)
1974年式MGB(ゼッケン48)と母
イベント閉会式会場の旧白浜空港
(2007年11月 ヴェトロモンターニャ)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  冬になれば雪が降り厳寒の日もあるように、人生かならずしも温暖な毎日が続くとはかぎりません。 「これで大丈夫だと思ったら、また別の心配が顔を出す。」と母は言います。 「長い人生、山あり谷あり。」 そして、さらに続けていわく「冬来たりなば、春遠からじ。」
  立春を翌日にひかえた2月3日、関東地方に雪が降り、横浜でも5cmほどの雪が積もりました。 翌週に使う食材や日用品を入手するべくショッピングにでかけるのが私たちの普段の週末の行動パターンで、この日は1974年式MGB(KH◎N)にゴム製のタイヤチェーンを装着して家内と一緒に外出しました。
2008年2月3日(日)節分
関東地方に寒波が襲来 横浜で雪が降りました
(2008年2月)
雪が降っても翌週の食材や日用品を入手するための
週末のショッピングは欠かせません
(2008年2月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

赤レンガ倉庫周辺も徐々に雪がつもり
人影はまばらです
(2008年2月)
週末のショッピングを終えて自宅に帰還
翌日の2月4日は立春です
(2008年2月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  降雪の影響で横浜市内の交通量は少なく、元町商店街の人通りはまばらです。 「こんなに寒くて雪が降っているのに、平気なの?」 「装備さえ整えれば大丈夫だよ。 2002年の雪はこんなもんじゃなかっただろ。」
2002年も元町でショッピング中に雪が降り始めて
自宅に戻るころにはかなりの雪が積もりました
(2002年2月)
赤レンガ倉庫は2002年2月当時まだ改装中
周辺の道路や区画も整備中でした
(2002年2月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  MGBを入手した1980年当時は、乗っても6年程度と考え、同じ自動車にこんなに長い間乗り続けることができるとは思いませんでした。 雪が降ったり強風が吹いたり豪雨にみまわれたりするように、2台のMGBが走ってきた道程は必ずしも平坦なものではありませんでした。 仮に、部品の供給体制が弱体だったり末弟が自動車整備士の資格を取得していなければ、2台のMGBは21世紀を待たず廃車処分となったかも知れません。
ハードトップやフードは取り去って
フルオープンを謳歌できる春が待ち遠しい
(2008年2月)
MGB
  家族と一緒にMGBで過ごした数々の思い出とエピソードは、私たちの貴重な財産。 そして2台のMGBと家族と一緒に過ごすであろうこれからの時間は、私たちにとっての宝物。 何のために生きるのか?  答えは身近な場所にあります。 楽しいときもそうでないときも、同じ時間を一緒に過ごす人たちのために生きる。 これが、明日へ向かって生きようとする気持ちに、力強い回転力を与えるフライホイールです。



82)春の元町チャーミングセール 2008
  3月最初の週末は春の元町チャーミングセール最終の2日間でした。 朝早くから掃除洗濯を済ませ外出の準備を整えた家内を助手席に、1974年式MGB(KH◎N)で元町商店街に向かいました。 ウインドウショッピングを繰り返してきた家内にとって乾坤一擲の大作戦。 狙いを定めた品がセールの対象になっているかどうか、売り切れずに残っているか否か? 仮に売り切れていた場合それに替わる品を見つけることができるか? 助手席の家内はいつになく寡黙です。
  元町への道すがら「ニッサンモータースポーツエキシビジョン2008」のオープニング準備がすすめられている赤レンガ倉庫を横目でみた私は、どんな車両が展示されているか考えはじめました。 展示のメインはニッサンGT−Rとそのレース仕様車のはず・・・。
  運転席と助手席、異なる思いを乗せたまま1974年式MGB(KH◎N)は元町に到着しました。 
最初は5丁目のパーキングメーターに駐車
1974年式MGB(KH◎N)
(2008年3月)
4丁目のもとまちユニオンの開店時間は午前10時
先に1丁目のウチキパンに行き10時に4丁目に戻ります
(2008年3月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

1丁目のショッピングストリート
画面左が2008年春のターゲット「アリス」
(2008年3月)
1974年式MGB(KH◎N)は1丁目に移動
遠景は店先でクレープ屋さんと歓談中の家内
(2008年3月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  まず5丁目のパーキングメーターにMGBを駐車、1丁目のウチキパンと4丁目もとまちユニオンで食材と日用品を入手します。 こうすれば5丁目から1丁目を往復する途中、開店準備中のショピングストリートで家内はターゲットを確認することができます。 食材と日用品をMGBに積み込み5丁目の喫茶店で、時間調整をかねて休憩。
  喫茶店で家内が示した2008年春のターゲットは、私の予想に反して「アリス」ただ1店のみ。 ほんとうにそれでいいのか? 「ほかのお店もいずれもすばらしいけれど・・・、今日はアリスがいい。」 10時30分の開店時間にあわせて私たちは1974年式MGB(KH◎N)を1丁目のパーキングメーターに移動させ、家内は足早に「アリス」にいそぎます。 制限時間はパーキングメーターの60分です。 私はショッピングストリートで待機しました。
万国橋近くのパーキングメーターに駐車
私たちの制限時間は今度も当然60分
(2008年3月)
赤レンガ倉庫で開催
ニッサンモータースポーツエキシビジョン2008
(2008年3月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  しばらくするとショッピングを済ませて満足そうな家内が「アリス」の袋をかかえて出てきました。 パーキングメーターに戻り荷物を車に積み込むと、家内はすいよせられるようにクレープ屋さんに・・・。 この場所で20年以上営業しているお店で、家内はそのテイストを高く評価しています。 クレープを2つ手にした家内を1974年式MGB(KH◎N)の助手席に押し込んだ時点で、パーキングメーターの表示は55分。 正午まで約30分をのこして、2008年春の大作戦は終了しました。 「すばらしい、理想的な時間とペース配分。」 さぁ、赤レンガ倉庫にいそごう。
ニッサンGT−R市販バーション
大排気量 高出力 高速度 高性能
(2008年3月)
ニッサンGR−Rレース仕様
常に好成績を期待される生粋の競技車両
(2008年3月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  予想どおりニッサンモータースポーツフェスティバル2008のメイン展示はニッサンGT−Rでした。 1963年の日本グランプリで一躍有名になったプリンススカイラインのコンセプトを受け継ぐスポーツカー。  搭載する3.8リッターV6エンジンの最高出力は480ps、最大トルクは60kgm、GPSで現在位置を確認しサーキットではリミッター解除を任意で選択することが可能です。 そんな場合は持てる性能を100%発揮することができる魅力にあふれる1台です。
  私たちが乗る北米仕様のMGBと比較すると、最高出力は約8倍、最大トルクは約5倍、排気量は約2倍、車両重量は約1.7倍です。 軽量、小排気量スポーツカーの対極に位置し圧倒的な高出力を誇るカテゴリーに属する車です。 従来は日本国内に限定されていた歴代のGT−Rとは異なり、輸出も織り込まれていたニッサンGT−R。 日本メーカーがスポーツカーの魅力を21世紀の世界に問いかけるために開発し発売した車。 願わくば世界各国の自動車好きの人たちがこれに応え、永年にわたり乗りつづけられんことを。
レースで活躍するスカイラインの原点
プリンススカイライン2000GT
(2008年3月)
プリンスR380とニッサンR381の流れを継承した
ニッサンR382(2008年3月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  大排気量で高出力のエンジンに大型の車体、小排気量のエンジンに軽量ボディ。 相反するように思えますが、これらは両方とも三省堂発行の大辞林第2版が「運転すること自体を楽しむために作られた車」と定義するスポーツカーの姿であり、いずれも魅力ある自動車です。 「運転すること自体を楽しむ」とは何か? その回答を追い求め、見つけ出すことができた自動車好きの人たちは幸せだと、私は思います。 スポーツカーのテイストは千差万別です。 さらに技術は常に進歩します。 何台もの自動車を乗り継いでそのバリエーションを味わうのも、あるいは自分のテイストにマッチする1台にめぐりあい同じ自動車に乗りつづけるのも、スポーツカーが好きな人にとって、等しくすばらしい体験になりうると思います。
1997年と1998年のルマンに挑戦した
ニッサンR391GT1
(2008年3月)
プロトタイプカテゴリーで1999年ルマンに挑戦した
ニッサンR391
(2008年3月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  自動車は工業製品だけど、その価値を排気量や性能、車格や販売台数、技術の新旧で論じるのが適切と断言することはできないと思うよ。 スポーツカーか否か、軽自動車か普通車か、国産車か輸入車かで自動車の価値が決まるほど、単純なものでもないよ。 でもその価値を見極めるのは難しいことではないと、僕は思うよ。 ニッサンGT−Rの周りに集まった人たちの様子を見てごらん。 オート三輪や軽自動車で長野や岐阜、金沢のイベントに参加したオーナーの笑顔や、軽井沢にあつまったMG乗りの人たちを思い出してごらん。
60分単位の行動はテンポが良くて快適です
このペースで午後1時に自宅に戻り午睡も可能です
換気のためジッパーを開いてフードリアは開放しています
ラゲッジラックには2月の積雪時に使ったゴム製タイヤチェーン
ショッピングの荷物をトランク内に収めるためにラックに移動しました
(2008年3月)
MGB
  そう言えば「若いころは私も白いスカイラインの助手席にあこがれていた。」と懐かしそうに話しはじめた家内を、あわてて再び1974年式MGB(KH◎N)の助手席に押し込んで、私は自宅に戻りました。



83)夜間整備 2008
  3月20日の夜、自宅で1974年式MGB(KH◎N)のフューエルストレーナーを交換しました。 この日は終日雨模様で、時折強い風が吹きつける天候でした。 朝の出勤時に、自宅から50mほどでエンジンがストール。 キャブレターに燃料が充分に供給されずエンジンがストールするという症状でした。
エンジンルームに照明がとどくように
逆向きに駐車した1974年式MGB(KH◎N)
フューエルストレーナを交換します
(2008年3月)
MGB
  フューエルポンプの作動音は聞こえているし、燃料タンク内のガソリンは充分にあることを燃料計の指針が示しています。 エンジンストールの原因は、フューエルポンプのフィルターか、エンジンルーム内のフューエルストレーナーの目詰まり、あるいはキャブレターのチャンバーやフロートの不具合が考えられます。 手押しとスターターモーターのクランキングで1974年式MGB(KH◎N)を自宅に戻して、とりあえず出勤。 そして勤務を終えて帰宅後、点検整備をおこないました。
エンジンルームのフューエルストレーナ
透明ボディゆえガソリンを目視できる新しいストレーナー(左)
夜間ゆえこの状態で作業を終了し
週末に金属ボディの旧ストレーナー(右)をとりはずす予定
(2008年3月)
MGB
  「キャブレター本体の不具合だったら週末整備」と覚悟してキャブレターのフューエルホースをはずしイグニッションONでフューエルポンプを作動させると、幸いなことにフューエルパイプからガソリンがでてきません。 次にフューエルストレーナー(インレット側)のフューエルホースをはずしてフューエルポンプを作動させると、ガソリンがでてきます。 とても幸運なことにエンジンストールの原因はフューエルストレーナーでした。 予備の部品に交換して40分ほどで点検整備は完了しました。
無事にエンジン始動
燃料が漏れていないことを目視点検しながら
夜間騒音を抑えてアイドリングで暖機中です
この後テストドライブに出発しました
(2008年3月)
MGB
  テストドライブを終えて自宅にもどり整備記録簿をチェックしたところ、燃料フィルターを点検した記録は頻繁にありましたが、交換を示すX印は1990年8月96、612マイルまで遡ります。 2008年3月20日の走行距離は134、394マイル。 オーナーズハンドブック記載の交換頻度20、000km走行毎にたいして3倍の約60、000kmを無交換で18年かけて走破した後に、目詰まりでエンジンストール。 日本製の部品と比較するのは酷ですが、満足できる品質だったと考えます。
自動車定期点検整備記録簿にフューエルストレーナー交換を記録
2008年3月20日走行134、394マイル
1980年以来28年間の記録です
右はオーナーズハンドブック 中央が整備記録簿 左は車載用のバインダー
(2008年3月)
MGB
  1974年式MGB(KH◎N)を入手したのは1980年です。 家内と知り合ったのが1981年、結婚は1982年、長男が生まれたのが1983年、そして次男は1985年。 私たち家族が過ごした年月と同じ時間を記録した整備点検記録簿を眺めながら、感慨をあらたにしていると、「その本、つぎはぎだらけね」と、家内の指摘をうけました。 「用紙が足りなくなったので自分で装丁しなおしたからね。 28年分だよ。 それにまだまだ継ぎ足せる。」 あと数日で長男も次男も、社会人です。      
卒業式の会場
(2008年3月)
家内と次男
(2008年3月)
キャンパス内の卒業生
(2008年3月)
MGB MGB MGB



84)夜の桜 2008
  2008年4月、私たちの長男と次男は社会人としてのスタートをきりました。 研修期間中ながら月曜日から金曜日は毎朝出勤し夕方自宅に戻り、週末は休日という生活パターンを繰り返しはじめています。
  徐々に生活パターンに変化がみられるものの、休日は昼過ぎまで起きてきません。 きっと新卒の新社会人特有のウィークデイの緊張から解放されて熟睡しているのでしょう。
元町ショッピングストリートに駐車した
1980年式MGB(KH◎S)
60分の制限時間内に用事を済ませます
(2008年4月)
MGB
  横浜市内の桜は開花したものの夕方はまだ少し肌寒い4月初旬の週末、私と家内はショッピングの時間を夕方に変更し桜見物を兼ねて1980年式MGB(KH◎S)で外出しました。
太陽は西にかたむき
元町商店街はその影にはいりはじめます
(2008年4月)
余裕があったのでスローカフェで時間調整
ケーキセットを前に話題は社会人になった子供たち
(2008年4月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

元町でショッピングの後は伊勢佐木町を経由して長者町へ
日没直後に大岡川沿いのパーキングに到着しました
(2008年4月)
磯子区にある円海山の麓の氷取沢に源を発する大岡川
両岸の並木の桜は満開の状態でした
(2008年4月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

家内
(2008年4月)
来週の週末にはハードトップを外す予定
(2008年4月)

(2008年4月)
MGB MGB MGB
  この時期のショッピングは午前中に済ませるのが私たちの生活パターンですが、遅い昼食の後(長男と次男にとっては遅い朝食)15時ごろから私と家内は行動を開始しました。 元町で翌週の食材や日用品を入手し、大岡川畔の桜を見物するために長者町に移動しました。
  日没後はまだ肌寒さを感じる陽気ですが、桜祭りが開催されており道行く人たちも多く、時節柄わけもなくウキウキした気分になります。 今度の週末にはハードトップを取外す予定。 そしてもうすぐウッディパーク鹿沼ステージ2008。
川面に映る桜祭りの電飾と桜並木
遠景はランドマークタワー
(2008年4月)
夕暮れ時でも手軽に撮影可能
デジタルカメラの性能にあらためて感心しました
(2008年4月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB



85)ウッディパーク鹿沼ステージ 2008
  私たちにとって毎年恒例のイベントになりつつあるウッディパーク鹿沼ステージに参加しました。 2005年以来4回目のエントリーです。 社会人になったばかりの長男と次男は、自宅でお留守番。 月曜日から金曜日までの勤務で全エネルギーを使い果たすためか、休日は昼過ぎまで寝ています。 おかげで私たちの機動力は半減し、母と父も実家でお留守番です。 
ウッディパーク鹿沼ステージのスタートゲート
1925年式ロールス・ロイス
(2008年4月)
MGB

1974年式MGB(KH◎N)
(2008年4月)
1980年式MGB(KH◎S)
(2008年4月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  家内と私が、1974年式MGB(KH◎N)でエントリー。 ゼッケンは147。 1980年式MGB(KH◎S)で、末弟とその長女。 ゼッケンは148です。
  参加車両のゼッケンは年式順というのが、例年のウッディパーク鹿沼ステージのナンバリングでしたが、2008年の私たちのゼッケンは連番。 慣例をまげて2台が並走できるようにという主催者の粋なはからいでした。 今年はスタート直後に待ち合わせすることなく、そのままタイムラリーに挑戦することができます。 特に私たちから連番を要請したわけではありません。 主催者側から示された無言の善意です。 感謝!!!
末弟とその長女
(2008年4月)
147号車の助手席の家内
(2008年4月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

ベンツ450SLCに続いてスタートゲートへ
無事故無故障で完走をめざします
(2008年4月)
MGB

コースは鹿沼市と日光市の132km
チェックポイント数は6
(2008年4月)
147号車に後続する148号車
この区間の指示速度は45km/h
(2008年4月)
例幣使街道の杉並木
先行するのはモーガン
(2008年4月)
MGB MGB MGB
  鹿沼商工会議所に実行委員会が設置されるウッディパーク鹿沼ステージは、本当に魅力あふれるイベントです。 沿道で声援をおくってくれる方々、コース上で安全を確保したり、車両故障に備えてローダーで待機するスタッフ。 イベントを盛り上げるために参加してくれるさつきドリーマーズ、和太鼓、下横町屋台、賑やかなお囃子。 たくさんの人たちのさまざまな善意があつまって、ウッディパーク鹿沼ステージの魅力を織り上げているのを実感します。
お囃子
(2008年4月)
ランチャストラトスとポルシェ
(2008年4月)
彫刻屋台
(2008年4月)
MGB MGB MGB

途中で小休止
(2008年4月)
スタンプポイントを通過する148号車
(2008年4月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

1937年式ダットサンロードスター
(2008年4月)
1966年式トヨタスポーツ800
(2008年4月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  善意にこたえるには、まず安全運転。 そして沿道の方々の声援に、私と家内も手をふり笑顔でご挨拶。 132kmをミスコースすることなく走行し、147号車も148号車も無事にゴールすることができました。
1969年式SR311
(2008年4月)
1972年式240Z
(2008年4月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

ゴール後は指定の場所に駐車して・・・
(2008年4月)
主催者が成績を整理している間に・・・
(2008年4月)
参加者は鹿沼牛のBBQでエネルギー補給
(2008年4月)
MGB MGB MGB

イグニッションコネクターの接触不良で一瞬エンジンストール
すぐに復活無事完走1974年式MGB(KH◎N)
(2008年4月)
147号車のエンジンストールをみて
もう寿命だと思った後続の1980年式MGB(KH◎S)
(2008年4月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

ゴール後の開放感とここちよい疲れ
(2008年4月)
メキシコから帰国10周年の家内と私
(2008年4月)
メキシコMGカークラブのシャツ
(2008年4月)
MGB MGB MGB
  例弊使街道を走行中に、1974年式MGB(KH◎N)がイグニッションスイッチのコネクター接触不良でエンジンストール。 後続していた148号車の末弟が結線をカシメなおしてくれて、すぐに復活しました。 突然失速して路肩に停車する147号車をみて末弟は「あ〜ぁ、1974年式MGBはとうとう寿命だ。」と思ったそうです。 驚かせてしまったけれど、幸いにも対向車や後続車は無事に通過してくれました。 エンジンストールの影響を最小限におさえることができてほんとうにラッキーでした。
表彰式と閉会式をすませて記念撮影
(2008年4月)
MGB
  147号車の成績は、誤差秒56.1秒で113位。 148号車は、誤差秒86.3秒で125位でした。 優勝した18号車アストンマーチンの誤差秒は、なんと1.9秒。 上位28台のエントリー車が誤差秒10.0秒以内という成績でした。



86)横浜市内でピクニック 2008
  社会人になったばかりで休日は昼過ぎまで寝ている長男と次男を自宅に残し、5月中旬の週末に家内と一緒に根岸森林公園にピクニックに出かけました。 ピクニックの昼食は握り飯。 長男と次男の朝食は家内が余分に用意した握り飯。 週末のショッピングをすませて3時ごろには戻るのでおとなしく留守番をしているようにとのメモを、添えておきました。 
横浜市内の根岸森林公園
木陰にピクニックブランケットを広げます
(2008年5月)
MGB

1981年に接収が解除された観覧スタンド
(2008年5月)
美しく整備された観客スタンド脇の広場
(2008年5月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  1867年12月に徳川幕府の費用負担で竣工した根岸競馬場は、太平洋戦争後に連合軍に接収されました。 周辺はアメリカ軍の将校とその家族の住宅地、観覧スタンドの建屋内は軍の事務所、そして競馬場の大半はゴルフコースでした。 観覧スタンド以外の施設の接収が解除されたのは1969年。 私は高校生でした。 学校は徒歩で5分程度の距離にあり、特別に当局の許可を受けたのか、接収解除直後の敷地内で体育の授業を1回だけ実施しました。
  広々としたゴルフ場、丁寧なメンテナンスをうけた芝生の上で行うサッカーの授業は、私にとって衝撃的でした。 走っても倒れても芝生がショックを和らげてくれるのです。
現在は撤去された観覧スタンド 当時は米軍が使用中
壁の表記はSPECIAL SERVICES
RECEIVING ISSUE EQUIPMENT CHECKOUT
(1977年6月)
現存する観客スタンドのタワー
(2008年5月)
1980年式 MGB
1980年式 MGB
  木陰にピクニックブランケットを広げて拠点を確保。 散歩や昼食の後、椅子にすわり家内と世間ばなしをしていましたが、柔らかな木洩れ日とそよ風に誘われて熟睡しました。
椅子を2脚持参しました
(2008年5月)
高校時代サッカーの授業を受けた広場 現在はサッカー禁止
(2008年5月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

新緑の木々
(2008年5月)
熟睡
(2008年5月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  家内に起されて、ピクニック終了。 元町に移動してユニオンで週末のショッピングの後、自宅に帰りました。
根岸森林公園駐車場
ピクニックの装備はラゲッジキャリアに搭載します
(2008年5月)
スーパーマーケット元町ユニオン
午後はユニオン側の歩道に陽があたります
(2008年5月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

食材や日用品はトランクへ
(2008年5月)
ウインドウショッピングもすませてメータは60分
(2008年5月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB



87)朝霧高原 2008
  運命というべきか奇遇というべきか、5月中旬に出会ったMGB乗りの方に誘われて朝霧高原にツーリングに出かけました。 5月中旬以降不安定な天気の週末がつづき、関東地方は梅雨に入ったと気象庁が発表したものの幸いにも晴天に恵まれた、6月初旬の週末のエピソードです。 
ツーリングに参加したユーノスロードスターと5台のMGB
朝霧高原
(2008年6月)
MGB
  集まった車は全部で6台。 すべて2人乗りのオープンカーです。 家内が最初に注目したのは目にも鮮やかなブルーのユーノスロードスター。 昨年レッドのユーノスロードスターを入手した長男。 長男が当初希望していたボディカラーはブルーでした。 「とてもきれいなロードスター。 しかもかわいい色」というのが家内の感想でした。
  長男が夢見たブルーのユーノスロードスター。 しかもこのロードスターのエンジンは1600cc。 1800ccが追加されましたが、1989年の発売当初のエンジンバリエーションはDOHC1600cc1種類でした。 まさにロードスターの原点といえる1台です。 忘れられようとしていた2人乗りオープンカーの魅力を市場に問いかけ幅広く圧倒的な支持を得て、世界の自動車メーカーをして追従させしめたスポーツカーです。
ユーノスロードスター
オープン2シーターの潮流を復活させたスポーツカー
(2008年6月)
ロールバーにバケットシート
オーナーは神戸MGカークラブのメンバー
(2008年6月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  つぎに家内が注目したのは、サーキット走行にも適応するようにロールバーやバケットシートを装備したMGB、神戸MGカークラブメンバーの車です。 「これなあに?」と家内。 牽引用のフックさ。 サーキットで万一のとき、すばやく牽引できるよう装着するんだ。 だから目立つカラーで塗装しているんだよ。 サーキット走行を意識した場合、軽量化をねらってクロームバンパーを取り外すことがあります。 このMGBのフロントとリアのバンパーは上手にデザインされたパネルに換えられています。 クロームのバンパーとは異なるMBの後姿。 家内は「とってもかわいい」と感激していました。
ルーカスのシールドビームに日英自動車のステッカー
オリジナル状態を保った見事なMGB
(2008年6月)
ダークグリーンメタリックの上品な特注色のボディ
フェンダーにクロームのレーシングミラー
(2008年6月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  工場出荷時の姿を維持しているマルーンのMGB。 「うちのと同じ黒いバンパー。 余分なライトがないのでとてもすっきりしている」というのが、1980年式MGB(KH◎S)と比較した家内の発言です。 フロントのナンバープレートブラケットは正規輸入車の特徴どおりラバーバンパー正面についているし、リアには日英自動車のステッカーもあります。 輸入時の仕様を維持するのは並大抵の努力では不可能なはず。 オーナーの情熱が伝わってきます。
ダークブルーメタリックのボディと濃紺のカーペットに
対比配色のタンの本皮シートを配した絶妙のコントラスト
(2008年6月)
1980年式MGB
(KH◎S)
(2008年6 月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  初年度登録時の姿を30年ちかく維持しているのはすばらしい事実。 そしてこちらの2台もとっても魅力的だね。 ダークグリーンメタリックとダークブルーメタリックのボディはどちらも特注色。 メーカー標準という仕様制約を解放して、オーナー独自の味付けが施されています。
  BMWやVWグループ傘下にはいる以前のロールス・ロイスやベントレーが採用していたコミッショニング。 車体色や内装色、素材や装備をオーナーの希望に応じて採用し特別な1台に仕上げるというものです。 たとえばダークグリーンメタリックの深みのあるボディに銀色にかがやくクロームのレーシングミラー。 またはダークブルーメタリックのボディに、同系色ダークブルーのカーペットそして本皮シートは対比配色でタン。 数えきれない選択肢から組み合わせを決定するオーナーのセンスが際立ちます。 加えて2台とも補助メーターやラジエターファンスイッチの配置に、所定の機能と性能を得ようというオーナーの創意と工夫があふれています。 まさに王道ともいえる楽しみ方だと思います。
第3集合地点道の駅どうし
(2008年6月)
山中湖畔
(2008年6月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

眠ってしまった家内
(2008年6月)
朝霧高原
(2008年6月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

朝霧高原
(2008年6月)
富士山
(2008年6 月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  厚木から道志をとおって山中湖へ、そして朝霧高原へ。 さらに十里木へと富士山を1周する快適で楽しいツーリングでした。 途中で野生のシカに遭遇しました。 先頭のMGBの前を横断する1頭のシカ。 そして2番目の私たちの目前をもう1頭が横断。 2台とも急いで減速したので事なきを得ましたが、とにかく驚きました。 それにもまして驚いたのは家内の睡眠。 新鮮な空気と美しい木漏れ日の林が、とても気持ちが良かったのでしょう。 「シカを見た! シカを見た!」と喜んでいましたが静かになったので横を見ると、助手席で熟睡していました。 「富士山が見える」と声をかけるまで約15分、速度警報装置から解放されたMGBは、「警報装置が目をさまさない程度」の自由走行を楽しみました。
御殿場のイタリアンレストラン
チャマ
(2008年6月)
VWカブリオ
エンジンルームも見事なコンディションに維持されています
(2008年6月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

試乗の出発準備中のVWカブリオとMGB
(2008年6月)
MGBやユーロードスターも交互に試乗に参加
(2008年6月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

試乗から戻ったユーノスロードスターとそれを見守る家内
(2008年6月)
おいしい昼食と素敵な天気とオープンカー同好の士
(2008年6 月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  昼食はイタリアレストランのチャマ。 この御殿場のレストランですばらしい状態のVWカブリオを拝見。 内装やシートはもちろんエンジンルームやエンジン、補機類まで丁寧に磨き上げられている見事なコンディションです。 クリームホワイトのボディにホワイト、レッド、ベージュの内装とファンシーな4シーターカブリオながら、その走行性能は試乗したMGBドライバーが異口同音に感嘆するほど、高度なレベルに仕上げられています。
  新車当時と同様またはそれ以上の状態に高めるのも、究極ともいえる自動車の楽しみ方の1つです。 工場出荷の状態を維持しながら車齢相応の劣化を丹念に修繕して乗りつづけるか。 サーキットやスポーツ走行を楽しむために装備と性能を追求し走りつづけるか。 はたまたツーリングに必要な装備を適宜追加してオーナーの創意と工夫をこらした1台に仕上げるか。 いずれも魅力ある自動車の楽しみ方です。



88)高野山 2008
  1922年(大正11年)生まれの父と一緒に1974年式MGB(KH◎N)で高野山を訪問しました。 母と私が高野山を初めて訪問したのは2005年11月にヴェトロモンターニャ2005に参加したときです。 以来11月の高野山は母とわたしにとってまちどおしいイベントです。 2006年は末弟と長男、2007年には末弟と次男も一緒に、4人で2台のMGBに分乗して約1600kmのツーリング。 ヴェトロモンターニャへのエントリーを、特に母は楽しみにしています。 高野山の記事があったと言っては新聞を切り抜き、熊野古道と高野竜神の特別番組があると言ってはTV放送をダビングし、「今年も高野山に行く」と言って、あれこれこまごまとした準備を整えている毎日です。 
高野山の西の入り口にある楼門
重要文化財の大門
1974年式MGB(KH◎N)
(2008年7月18日午後5時頃の撮影)
MGB
  「高野山、高野山。」と楽しそうな母の言動に刺激を受けたのでしょう。 奥の院を見てみたいと言う父の希望をかなえるために計画した2泊3日、全行程約1400kmのツーリング。 2008年7月中旬のエピソードです。
連泊した宿坊の持明院
(2008年7月)
持明院の入り口
(2008年7月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

伽藍への参道
(2008年7月)
根本大塔
(2008年7月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  午前3時に自宅を出発し、東名高速・名神高速・近畿自動車道を経由して午前10時30分に阪和自動車道の紀ノ川SAから自宅に「順調」と電話連絡。 正午過ぎに金剛峰寺の第一駐車場に到着しました。 復路は午前9時に高野山を出発。 往路と逆ルートをたどり京滋バイパスで名神高速の渋滞を回避、新名神高速と伊勢湾岸道路から東名高速に入り午後8時に自宅に戻りました。
金剛峰寺の第1駐車場
(2008年7月)
鐘楼と1974年式MGB(KH◎N)
(2008年7月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  高野山の宿は持明院です。 午後3時のチェックインまで時間がありますので1974年式MGB(KH◎N)を駐車場にのこし、まず昼食。 横浜を出発してから約10時間、安着を祝して食堂でいただいたビールは格別の味わいです。 「ああぁ、うまい! これほどうまいビールは久しぶりだ。」と父も満足そうでした。 その後は徒歩で金剛峰寺の境内を散策。
観光バスが何台も到着します
(2008年7月)
喫茶室で休憩中の父
(2008年7月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

奥の院
(2008年7月)
日産自動車の慰霊碑と父
(2008年7月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

四国八十八箇所の札所の石塔
(2008年7月)
奥の院への参道
(2008年7月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  7月の日差しは強烈でしたが湿度は低く、高野町を吹きぬける風は涼しく快適です。 2泊した持明院の部屋は、南向きで日本庭園に面し緑深い林につながります。 朝はウグイスのさえずりとヒグラシの鳴き声で目を覚まし、夕方もヒグラシとウグイスを聞きながら夕餉をいただくという週末でした。 持明院の朝食と夕食は、当然のことながら精進料理。 無益な殺生を禁じる戒律と食物を摂取して生きる人間の本性が融合して生み出された食文化。 味付けは薄味で、素材の本来の持ち味が際立ちます。
奥州仙台伊達家の墓所
(2008年7月)
薩摩島津家の墓所
(2008年7月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

崩れ落ちた鳥居 苔むした石塔
(2008年7月)
盛者必衰は世の常
(2008年7月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  お互いに様々な雑事に追われ交わす会話は、朝晩の挨拶、「暑い、寒い、曇った、晴れた 」という天候、「元気でやっているか?」や「元気だよ」といった具合に、平凡で短いものが多い毎日です。 しかしながら父と2人で過ごす高野山での話題は、さすがに日頃の少ない言葉数を補って余りある分量でした。 父や母の両親、兄弟、親戚の話、それに戦前、戦中、戦後の出来事。 大正、昭和、平成と父が生きる時代の世相の変遷やものの考え方について。 私もふくめた子供たちや孫たちとの思い出について。 今までやろうとしてできなかったこと、これからやりたい様々なこと。
  最近とみに遠視がすすみ小さな活字が見えにくくなった父。 先日も拡大鏡を使って平家物語を読んでいたら母にひどく叱られたのだと言います。 「陽あたりの良い居間で見ると、活字がいっそう黒々として読みやすいのだがな」と父。 高野山にかかわる記述が平家物語にはあり、なかでもひろく知られている斉藤滝口時頼と建礼門院の雑仕横笛の悲恋、そして三位中将平維盛と滝口入道のエピソード。 「この先にあるのが滝口入道ゆかりの清浄心院だ。」と言う父に、「直射日光の下で焦点距離があえば黒々として活字も読みやすいとは思うけれども、初夏の直射日光の場合5〜6秒で着火するかもしれないよ。」と私。 子供のころ理科の授業で・・・と言いかけて一瞬の沈黙の父。 お互いに顔を見合わせた後に2人とも期せずして大爆笑。 母の心配をよそに、2人ともしばらくの間、思い出しては笑い続けた高野山へのツーリングでした。
往路とは逆のルートで横浜を目指します
(2008年7月20日午前9時頃の撮影)
MGB



89)社会にでた子供たち 2008
  学校を卒業して長男も次男も社会人となりました。 入社式と緊張の4月、戸惑いながらも研修の5月、梅雨の6月が過ぎ、7月には正規配属部署が決定。 それなりに規則正しい生活パターンを繰り返す毎日ですが、全員が顔をそろえる機会はとても少ない4ヶ月でした。 そして8月は夏休み。 久しぶりに家族6名で夕食を摂ることができました。 
久しぶりに全員がそろって夕食
父 母 次男 長男 家内 私
いつも長男はひょうきん 口が菱形
(2008年8月)
MGB
  夕食後は、北京オリンピックをテレビで観戦。 欧米での開催と異なり時差が少ないので、とても助かります。 しかも8月8日(金)夜に開会式、翌朝から各種競技がはじまり、私たちの夏休みと一致する日程です。 とはいえ長男も次男も朝から夜までは不在がち、家内と私がソファに座ってオリンピックを観戦する、そんな夏休みです。
夕食後は照明をダウンライトに切り換えて北京オリンピックをTVで観戦
手前は母と長男 奥が父と次男
家内は台所で後かたずけ中
(2008年8月)
MGB
  直射日光が強く高温多湿の夏季、家内と私は週末の行動パターンを夜型にシフトします。 日中は自宅でオリンピック観戦、そして日が暮れて気温が少しばかり下がってからMGBで外出します。 夜の大桟橋は絶好の夕涼みポイント、ウッドデッキに吹きつける海風はとても快適です。
  日中の暑さから開放された私たちの話題は、当然のことながら長男や次男に集中します。 2人とも一応は社会人、 あと数年したら結婚して独立するでしょう。 幸せな家庭を築いてすばらしい人生をおくるといいね。
元町通りの1974年式MGB(KH◎N)
家内にとっては元町ウインドウショッピングストリート
(2008年8月)
大桟橋
ディーナークルーズを終えて接岸したロイヤルウイング
(2008年8月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB

修好110周年を記念して来航した
アルゼンチン海軍の練習帆船リベルタ
(2008年8月)
家内の狙いは帆船ではなくアイスクリーム
ババヘラと呼ばれる秋田の名物アイス
(2008年8月)
1980年式 MGB 1980年式 MGB
  夏休み最初の週末に家内の希望で赤レンガ倉庫へ。 新港埠頭にはアルゼンチン海軍の帆船が接岸中、赤レンガ倉庫の広場でレッドブリックフェスティバルが開催されていました。 家内の狙いは横濱あいすくりん博覧会のアイスクリーム。 博覧会の最終日です。 いったいどこでこんなイベントの情報を仕入れるのだろう。 「テレビのニュースで言った。」とのこと。 あぁ、このようなお気楽な毎日を私もいつかはおくりたい。 夏休みでリラックス、肩の力がぬけてしまった瞬間でした。



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インデックス

はじめに

第1部 MGBを入手するまで(〜1980年8月)

第2部 MGBとの生活(1980年9月〜1989年9月)

第3部 2台のMGB メキシコへ(1989年10月〜1998年9月)

第4部 日本へ それから台湾(1998年10月〜2004年12月)

第5部 ふたたび日本で そして25周年(2005年1月〜2005年8月)

第6部 新しい日々 今度は豊橋(2005年9月〜2005年12月)

第7部 めざせ26周年(2006年1月〜2006年8月)

第8部 2台あれば4人乗れます(2006年9月〜2006年12月)

第9部 みんなといっしょに横浜で(2007年1月〜2007年8月)

第10部 平穏な毎日(2007年9月〜2007年12月)

第11部 社会にでる子供たち(2008年1月〜2008年8月)

第12部 2人でふたたび(2008年9月〜2008年12月)

第13部 2台でふたたび(2009年1月〜2009年8月)

第14部 家族と2台(2009年9月〜2010年8月)

第15部 31年目のMGB(2010年9月〜2010年12月)

第16部 ドライバーの軽量化(2011年1月〜2011年8月)

第17部 めざせ32周年(2011年9月〜2012年8月)