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(2009年9月〜2010年8月) |
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109)オートキャンプ 2009 「ねぇ、ねぇ、あのね、このあいだ1戸建ての家を契約してきたんだ。」と新年の挨拶にきた末弟は言いました。 「新築の1戸建てか! それはすごい!」と身をのりだす父と私。 「さすがね。 偉いじゃない。」と感心する家内。 「えへへへ、 すごいでしょ。」と、差し出す携帯電話の画像は、末弟とその長女がドームテントの前でうれしそうにVサイン。 ワンルームしかないキャンプ用のドームテント+タープを1戸建ての家と主張しても世間がそれを認めるとは思いませんが、寛容と慈愛(つけ加えるならば忍耐も)は大切です。 「それはよかった。おめでとう。」と、その場に居合わせた全員が大笑いで末弟の新居を祝福しました。 新年早々まことに幸先の良い2009年のスタートでした。 |
敬老の日の記念撮影(ひとあし先に次男は帰宅) 前列中央は父 (2009年9月) |
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| ・・・というわけで、ほとぼりがさめた9月に末弟はオートキャンプを計画しました。 |
インプレッサ (2009年9月) |
末弟は伊豆半島に2軒の別荘オーナー (2009年9月) |
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| 2009年の9月21日は敬老の日、9月23日は秋分の日で連休。 2台のMGBと末弟のインプレッサに分乗し伊豆半島の河津七滝へ。 三弟の家族は2日目に合流しました。 |
家内いわく「ちいさいのね!」 (2009年9月) |
大人7名子供1名 (2009年9月) |
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BBQ (2009年9月) |
中央は三弟の長男 (2009年9月) |
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天気は快晴 (2009年9月) |
伊豆半島の名産のひとつです (2009年9月) |
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| 懸念した台風14号の進路は北東にそれて天気は回復し、絶好の日和に恵まれた2泊3日のオートキャンプでした。 |
上機嫌の父 (2009年9月) |
思ったよりもはやく太陽は山蔭にかくれます (2009年9月) |
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父が撮影しました (2009年9月) |
ただし三弟は都合がつかずに不参加です (2009年9月) |
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1980年式MGB(KH◎S) (2009年9月) |
ウルトラ生ジュースを末弟が父にプレゼント (2009年9月) |
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| 国道135号線を走行中に、長男が運転する1980年式MGB(KH◎S)がオーバーヒート。 電動冷却ファンが作動しません。 自動車整備士資格を持つ末弟が、直ちに応急の配線を引きなおしてくれたので、トラブルは解決しました。 |
イグニッションONで電動ファンは常時作動します (2009年9月) |
20年以上はたらき続けたイタリア製の部品です (2009年9月) |
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工具箱に常備している日本製のリレーです (2009年9月) |
テストドライブを兼ねて家内と一緒にショッピング (2009年9月) |
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| キャンプ場で、炭焼ハンバーグでハンバーガーをつくろうと長男が言いだしましたが、材料を現地で調達することができませんでした。 そこで横浜に戻った翌日、2階のベランダにオートキャンプ用のBBQコンロやテーブルをセットし、夕食の調理を長男に任せることにしました。 |
炭焼ハンバーグの準備を整えます (2009年9月) |
炭火をおこしはじめます (2009年9月) |
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食材を持って家内が そして次男も・・・ (2009年9月) |
ポテトのフォイル包み焼き ピーマン たまねぎ (2009年9月) |
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虫の鳴き声 風の音 雲がかかって残念ながら星は見えませんでした (2009年9月) |
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| ひさしぶりに2台のMGBでツーリング、マス釣り、BBQ、露天風呂、テント泊。 母は妹と一緒に九州旅行、次弟とその家族、三弟や末弟の家族は都合がつかずに不参加。 家族全員がそろったわけではありませんが、とても楽しい2泊3日のオートキャンプでした。 |
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110)ヴェトロモンターニャ 2009 11月7日(土)と8日(日)にヴェトロモンターニャ2009に参加しました。 高野山から高野龍神スカイラインで龍神村へ、そして田辺から南紀白浜へ、和歌山県を舞台に行われる1泊2日のイベントです。 参加メンバーは母と末弟、長男と私の4名。 エントリーは1974年式MGB(KH◎N)と1980年式MGB(KH◎S)。 2台のMGBで約1600kmを走行した2009年11月エピソードです。 2005年から毎年参加している母と私は今年でやっと5回目、2008年は都合がつかず参加できなかった末弟は3回目、長男は2回目の参加です。 1992年に始まったヴェトロモンターニャは今年で18回目の開催です。 日本の各地で行われている自動車イベントは数多くありますが、それらの中でも最も長い歴史をもつイベントのひとつです。 |
金剛峯寺の第2駐車場 (2009年11月) |
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| ヴェトロモンターニャは自動車好きの人たちと過ごす楽しい2日間です。 たとえば1947年式TCミジェットのオーナー。 有名な神戸MGカークラブのメンバーで、年間をとおして開催されるクラブイベントのお話をうかがいました。 さらに岐阜のモーターフェスティバルコルモラーニ2006と2008でお会いした和歌山県のMGBオーナー。 2009年のコルモラーニの開催が中止されたため10月に岐阜で会うことはできませんでしたが、11月にヴェトロモンターニャの会場で再会することができました。 思いがけないうれしい驚き。 今度はいつ、どこで再会することができるか楽しみです。 さらにはヴェトロモンターニャ2009の会場で知り合ったMGBのオーナー。 高野龍神スカイラインを走行中に後続の末弟が合図をするので助手席から振り向くと、末弟の1974年式MGB(KH◎N)の後方にホワイトのMGB。 第1ステージ途中の道の駅「龍神」まで3台のMGBを連ねての走行を楽しみました。 そして第2CPの紀菜柑ではサイドカー付きの陸王に1年ぶりに再会しました。 |
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| 私にとってヴェトロモンターニャは、横浜−高野山−白浜−横浜を無故障で自走することができるかという不安と緊張と達成感をともなう挑戦でもあります。 約1600kmの走行を意識して2ヶ月ほど前から2台のMGBの点検と開始。 必要と思った整備を行いますが、思いもよらない作動不良はいつも突然に発生します。 11月3日の夕方にヒューズ通電不良によりエンジンストール。 グリースアップや点火時期とキャブレターの調整を済ませて家内と一緒にショッピングに行こうとしましたが、自宅から5mで1974年式MGB(KH◎N)はエンジンストール、そして私はパニック状態。 高野山への出発予定まであと56時間。 ショッピングにも行かねばならぬ。 キャブレターへの燃料はOK、エンジンのクランキングもOK、でもスパークプラグに通電していない。 原因はイグニッションコイルか? ディストリビューターか? 修理可能か? 必要な部品は調達可能か? 長男と次男は不在、末弟が乗って行った1980年式MGB(KH◎S)とは高野山に行く途中の東名高速の富士川SAで合流予定で、手許には末弟がかわりに置いて行ったインプレッサしかない・・・と、私の思考は千々に乱れます。 |
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| 思いあぐねて整備士資格を持つ末弟に電話でSOS。 「そういう事情ならばショッピングにインプレッサを使っていいよ。 これからそっちに行ってどこが悪いか見てみるよ。」 私と家内がインプレッサでショッピングに出かけている間に、片道1時間30分をかけて到着した末弟がチェックし、ものの5分で原因を究明。 ヒューズを交換して1974年式MGB(KH◎N)のエンジンは復調しました。 |
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| 「原因がヒューズでよかったね。 最悪の場合インプレッサのエンジンフードにMGBのミニカーを貼り付けてエントリーしようかと思った。 でもこの規定によると、当日に車両検査に合格してはじめてエントリーが成立する規則だし随伴の車両は会場内に入ることができないから、棄権しなければならないところだったね。」と、末弟は11月3日の午後に配達されたヴェトロモンターニャ2009の受理票を見ながら言いました。 「5分で修理が終わるなんてさすがね、たよりになる専門のお医者さんみたい。」 軽い夕食をすませて末弟が帰った後で家内は言いました。 |
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| 母にとってのヴェトロモンターニャは、宝亀院が叔父(母の実弟)宛てに投函した1通の葉書とともに、2005年にさかのぼります。 申し込みが受理されるか否かわからないけれどもヴェトロモンターニャ2005にエントリーすると告げる私に、高野山にお参りしたいので一緒に参加すると母は言いました。 深夜に出発し1晩かけて横浜から高野山まで自走する長距離ツーリングだと言っても、全行程の走行距離は1600kmと説明しても、母の考えは変わりません。 |
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| 家族で相談した結果、1974年式MGB(当時のイニシャルステッカーはAH◎N)で母と私の2名が参加を申し込み、私たちの申し込みは受理されました。 高野山に出発する数日前に母は、私に1通の葉書を示しました、「この宝亀院は会場の近くにあるのか?」と。 |
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| 私は参加要領に同封された高野山イラストマップを見ながら答えました。 「宝亀院はヴェトロモンターニャの会場のすぐ近くにある。 歩いて10分程度だと思うよ。」 母が示す葉書には祖父の供養を叔父が高野山の宝亀院で行っていたと書いてあります。 祖母の持ち物を整理した際に宝亀院の葉書を見つけたと母は言います。 祖父は1973年に他界、叔父は1991年、そして祖母は1994年。 宝亀院が叔父宛てに投函した葉書は宛先人不明で返送されることなく、死亡による叔父の住所変更届けによって祖母のもとに配達されました。 そして祖母の死後、持ち物を整理していた母の手許に移り、2005年まで保管されました。 |
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| こうして2005年11月、車両展示中の自由時間に、母と私は宝亀院を訪れました。生まれて初めての訪問で高野山のファンとなった母は、毎年11月の到来を楽しみにしています。 高野山の新聞記事を切り抜き、テレビ番組をダビングし、整体医院に通院し体調を整え、ヴェトロモンターニャに今度も参加したいと言う母の言動は、父にも影響を与えます。 父と私は2008年7月に1974年式MGB(KH◎S)で高野山を訪問しました。 ヴェトロモンターニャ高野山は、父や母に生きる活力を与えてくれています。 |
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| ヴェトロモンターニャ2009の期間中、和歌山地方の天気は快晴でした。 11月7日の午前8時30分にゼッケン01の1936年式ジャガーSS100が金剛峯寺第2駐車場をスタートしました。 高野龍神スカイラインを下り、第1CPは田辺市の龍神行政局。 オフィシャルスタッフから豚汁のサービスを受けました。 ここで30分程度の小休止の後、奇絶峡を経由して第2CPのJA紀南の紀菜柑へ。 紀菜柑の駐車場で約1時間30分の車両展示。 杵と石臼でお餅つき。 昼食は第3CPの田辺市のガーデンホテル ハナヨ。 午後2時にゼッケン順に第3CPをスタートして65台の参加車両がゴールを目指しました。 |
(2009年11月) |
(2009年11月) |
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(2009年11月) |
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| ヴェトロモンターニャ2009のゴールは白浜のエネルギーランドです。 閉会式までの自由時間に、私たちは恒例の記念撮影。 すると母が飛行帽とゴーグルで写真をとってほしいと言いました。 いわく「来年の参加申請書の写真にする。」とのこと。 |
前夜オークションで入手した赤いF1キャップの末弟 母と私と高野町特産の野菜 白浜エネルギーランドの駐車場 (2009年11月) |
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| おぉ! 母はヴェトロモンターニャ2010にもエントリーするつもりだ。 それならば僕たちもみんなで来年もがんばるぞ! |
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111)道のり36万キロメートル 2009 ヴェトロモンターニャ2009への参加をピークにして、2009年の私たちのイベントシーズンは終わろうとしています。 2台のMGBは無故障で横浜に帰りつき、母と末弟は各々の家庭に、そして私は家内や長男、次男といつもどおりの営みに戻り、12月をむかえました。 週末は家内と一緒にMGBで外出して翌週分の食材や日用品を入手するという生活パターンの日常です。 元町ショッピングストリートにはクリスマスシーズンの到来を告げる趣向をこらした飾り付けがあらわれ、洪福寺松原商店街にも師走らしい活気とあわただしさが漂います。 |
洪福寺松原商店街 (2009年12月) |
八百屋さんと肉屋さん (2009年12月) |
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そして魚屋さん (2009年12月) |
1974年式MGBはコインパーキングに駐車 (2009年12月) |
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| 私たち家族にとって2009年は良い1年であったと言うことができます。 廃車の予定だった1974年式MGB(KH◎N)は継続車検を手配して年初には公道走行が可能な状態としましたが、2台のMGBでエントリーすることを楽しみにしていた4月のウッディパーク鹿沼ステージは開催中止。 非常に残念でした。 そのかわりに、しかし、ウッディパーク鹿沼ステージの会場だった出会いの森総合公園で、家内と私はオートキャンプに挑戦しました。 この経験は9月に末弟が計画した伊豆半島のオートキャンプにつながり、父や三弟の家族と過ごした2泊3日の思い出として、私たちの話題にのぼります。 |
1980年式MGB(KH◎S)をコインパーキングへ (2009年12月) |
対岸は横浜ベイクオーター (2009年12月) |
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地上22F 地下2F (2009年12月) |
11月に発表された新型フーガ (2009年12月) |
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ギャラリー内の日産ブティック (2009年12月) |
なつかしいKen&MaryのTシャツ (2009年12月) |
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| 毎年10月に岐阜で行われてきたモーターフェスティバルコルモラーニも、残念ながら2009年の開催は中止されました。 オート三輪ファンの家内が絶賛し、お医者さんと看護婦さんがオート三輪で往診という状況設定に私が衝撃をうけたのが、コルモラーニ2008の参加車両クロガネKP−2。 楽しみにしていたのに2009年は開催中止。 和歌山のMGBオーナーとも会えないと思っていましたが、11月に高野山で再会することができました。 2006年10月と2008年10月に岐阜モーターフェスティバルコルモラーニ、2009年11月にはMGBオーナーの地元の和歌山で開催されるヴェトロモンターニャで再会。 このようなイベントはもとより、自動車好きの人たちと知り合うことができる機会は多くあります。 信号待ちの交差点、給油中のガソリンスタンド、ショッピング途中の駐車場。 交わす会話は決して長いものではありません。 あるいはツーリングの途中、すれ違いざまにお互いが片手を振って笑顔で会釈。 ものの1−2秒間の出会い。 しかし心に残る出会いです。 1980年からMGBに乗りつづけて29年。 これらの出来事の積み重ねが、私たちの貴重な思い出です。 |
寒さに備えてハードトップ (2009年12月) |
元町ショッピングストリート (2009年12月) |
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となかい仕様のTDミジェット (2009年12月) |
MGBのハードトップにもデコレーション (2009年12月) |
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| 並行輸入車の1974年式MGB(KH◎N)の速度表示はkmですが、トランスミッションのスピードメーターギアが北米仕様のため走行距離はマイルで積算されます。 2009年12月現在の表示41583は、走行141583マイル(227856km)に相当します。 1980年にローバージャパンが輸入し日英自動車が販売した1980年式MGB(KH◎S)の速度表示と走行距離はkm表示。 その走行距離は141570kmです。 すべての道のりを私と家内が走行した訳ではありませんが、2台のMGBの走行距離表示の合計は369426kmです。 |
積算走行距離141583マイル=約227856km (2009年12月) |
積算走行距離141570km (2009年12月) |
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素人の私は目視チェックで見逃し 自動車整備士資格を持つ末弟は5分で異常を発見 (2009年12月) |
第3番ピストンの破片と曲がったコンロッド(手前) エンジンは18GBに リーフガレージに感謝 (2009年12月) |
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よれよれのメキシコMGカークラブのシャツ (2009年12月) |
でも丁寧に繕えば まだまだ大丈夫 (2009年12月) |
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| 369426km。 この距離が長いか短いのか、私や家内の意見は分かれます。 だって地球と月の距離は36万から40万キロメートル。 MGBの積算走行距離は、アポロ11号が往復した距離の約半分に相当します。 でも秒速約30万キロメートルの光速を基準にすると、1秒強で到達する距離です。 長いと感じる人生も石火のひかりに異ならず、振りかえると数日前の出来事のように思えることもありますし、数日前でも遠い昔のことに思えることも・・・。 |
帽子 ゴーグル サングラス マフラー 手袋 イベント参加証 ゼッケン 地図 パンフレット 写真 キーホルダー 取り外した部品 破損した部品 ミニチュアカー カメラ トランシーバー パラソル キャンプ用ランタンとコンロ (2009年12月) |
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2台のMGBが無故障で36万キロメートルを走ったわけではありません。 最近は1974年式MGB(KH◎N)のヒューズ。 外観は正常に見えますが実は通電不良。 イグニッションコイルへの電源供給が不足して高野山に出発56時間前にエンジンストール、始動不能。 自動車整備士の資格を持つ末弟がものの5分で解決してくれましたが、私にとっては見た目で判断してはいけないという人生の教訓です。 やっぱり見た目よ、という家内の意見は聞かなかったことにしてしばらく横においておきましょう。 古いエピソードとしては、学生の三弟と末弟がツーリングの途中に、伊豆スカイラインの亀石峠で1974年式MGBのクランクシャフトのメタル破損、自走不能。 あいにく私は都合がつかず、次弟が深夜に横浜から救援に駆けつけるまで三弟も末弟も亀石峠で足止め状態でした。 春風秋雨爾来20有余年。 次弟も三男も末弟も、今は立派にそれぞれ一児の父です。 今度3人に会ったら、亀石峠のエピソードを詳しく聞いてみようと考えています。 家内に心配をかけたのが1980年式MGB(KH◎S)。 2006年9月3日にクランクシャフト破損。 おかげさまでエンジンは高圧縮比の18GBに。 しかしながら、同じ心配をかけないように自戒の意味をこめて、割れたピストンと曲がったコンロッドを保管しています。 オイルやカーボンで汚れて破損した部品は室内に持込厳禁と家内は言うけれども、大目に見てくださいな。 皮のドライビンググローブがほころび、絹のスカーフがすりきれて綿のシャツがよれよれになる程度の長さの道のりを、私たちは走りました。 多少のほつれやほころびは、年末年始の休暇中に手直しすれば大丈夫。 丁寧に繕えば2010年もまだまだ使うことができると思います。 同様にすこしづつ手をかけていれば、MGBもまだまだ日常の使用に耐えられるはず。 36万キロを走りましたが、日本全国を訪問したわけではありません。 たとえば大阪以西へのツーリングは未経験。 やってみたいことや訪問してみたい場所は、まだまだ沢山あります。 |
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112)線路の跡の遊歩道 2010 2004年2月に開通したみなとみらい21線は横浜と元町・中華街をつなぎます。 全線が地下区間で、横浜から先は東急東横線との相互直通運転をおこなっています。 それにともない東急東横線の桜木町駅と高島町駅は廃止、横浜と反町は地下駅に変更されました。 東白楽駅から桜木町駅の間は高架線でしたが、現在は東白楽と反町の間で地下にもぐります。 旧反町駅はどうなったのでしょうか。 「反町駅と横浜駅の間にはトンネルがあった。 あのトンネルはどうなったのかな。」 それに使われない線路がどうなったか見てみたい・・・というわけで、2010年1月中旬の週末に1974年式MGB(KH◎N)で私は東急東横線の東白楽駅に向かいました。 線路の跡を見てみたいなんて発想の根拠がわからないと言いながらも、家内が同行。 |
その名前は「滝の川せせらぎ緑道」 (2010年1月) |
東急東横線の線路は地下に (2010年1月) |
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跡地は「東横フラワー緑道」 (2010年1月) |
かつては線路だった事実が一目瞭然のモニュメント (2010年1月) |
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| 東急東横線の高架線は東白楽駅を過ぎてから徐々に地下にもぐります。 高架線路の跡地は遊歩道として整備中です。 反町駅に近づくと国道1号線を跨ぐ高架線ガードが残されており、遊歩道は階段で高架橋と接続しています。 半分高架式だった旧反町駅の跡をとおり遊歩道はトンネルへと続きます。 工期は2010年3月22日まで。 春分が過ぎて桜の季節になったら遊歩道が完成する予定です。 その頃にもう一度来てみようか。 高島台へと至る狭い急坂をたどると高台に石碑と案内板があります。 大正12年9月1日の関東大震災によって焦土と化した横浜で高島台が昭和天皇(当時は大正天皇の摂政)行啓の地であったことを示す石碑と、鉄道が開通した当時の横浜を高島台から撮影したという神奈川宿歴史の道の説明板です。 |
旧反町駅の跡地へ (2010年1月) |
2010年3月22日 (2010年1月) |
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完成すると高島台をショートカット (2010年1月) |
狭い道路をたどって高島台を越えます (2010年1月) |
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昭和天皇(当時は大正天皇の摂政)行啓の地を示す石碑 (2010年1月) |
高島台から撮影した鉄道開通当時の風景 (2010年1月) |
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| 高島台を下ると旧東海道につきあたります。 右折して旧東海道をたどると興福寺松原商店街に行くことができます。 私たちは左折して、創業1863年の老舗割烹田中屋の前をとおり東急東横線のトンネルと高架線の跡地に向かいました。 |
(2010年1月) |
(2010年1月) |
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(2010年1月) |
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| 2010年3月には東白楽駅から横浜西口付近までの遊歩道が完成予定です。 仮に、横浜駅西口をとおり旧高島町駅や旧桜木町駅まで東急東横線の線路跡が遊歩道として再整備されるのであれば、既設の汽車道や山下臨港線プロムナードを経由して、山下公園そして元町まで東白楽から遊歩道でつながるのだ。 「すばらしいことだとは思わないかい?」と私、「どうしてよ?」と家内。 だって別々の線路の跡をたどって日本丸や、赤レンガ倉庫、象の鼻、大桟橋まで行けるんだよ。 想像しただけで楽しくなる。 子供のころ線路を歩いて行くとどこに行くことができるか考えて、わくわくしたことがある。 それと同じ気分さ。 「うううん。 子供のころそんなこと考えなかったよ。」と家内。 でもお弁当を持って遊歩道でピクニックに行くのは楽しそうね。 |
(2010年1月) |
(2010年1月) |
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(2010年1月) |
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| 横浜駅西口から元町ショッピングストリートに移動して週末のショッピング。 みんなが父と母にプレゼントした寄せ書きを見ながら、私たちは喫茶店で時間調整。 2010年の誕生日に父は88歳、母は80歳をむかえます。 |
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113)大倉山ドキュメンタリー映画祭 2010 第3回大倉山ドキュメンタリー映画祭が、2月初旬の週末に開催されました。 私たちが鑑賞したのは「りんご、ごじら、らくだ、だんご」というタイトルの作品です。 小学校1年生のときに不登校となり養護学校に通学していた少女が、再び小学校に通い始めようとする小学3年生の春休みから6年生になって卒業式の当日を迎えるまでの日々を、家族や友人との生活をとおして記録したドキュメンタリーです。 もとの学級にもどろうとする新小学4年生の少女の不安とためらい、それを見守る父、母、そして兄や 祖父、祖母のまなざし、さらに一緒に登下校し、学校の授業を受け、行事に参加し、帰宅後はともに遊びに興じる友人、これら日常の生活が長野県を舞台にして描かれます。 早春のリンゴ畑から夏の渓流、秋のサツマイモやリンゴ収穫、そしてふたたび白いリンゴの花の開花。 |
大倉山記念館 (2010年2月) |
昨年は3月の開催でしたが2010年は2月 (2010年2月) |
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階段をのぼり会場へ (2010年2月) |
2010年はキャンセル待ちが発生 (2010年2月) |
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| めぐりきたる季節とともに成長する少女とその友人、母親や祖父との会話、さらに祖母や母親の独白。 小学校の運動会の開会式、スクリーンには紅白に分かれて校庭に整列する全校生徒の姿が写しだされます。 その映像に重なる「生徒代表の言葉」の音声。 カメラアングルを固定しているため生徒代表の姿はスクリーンの外にあり、ベストをつくして頑張りたいと言う声のみが会場にひびきます。 その声に聞き入る全校生徒の姿。 おもわず隣の家内をつっついて注意を促したすばらしい描写でした。 |
1991年に横浜市指定有形文化財に (2010年2月) |
手造りケーキにオーガニックコーヒー (2010年2月) |
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梅が開花していました (2010年2月) |
足早に直行する家内 (2010年2月) |
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| そして体育館での卒業式当日、行進曲「威風堂々」の演奏にあわせて卒業生が入場を開始します。 6年生の少女が入場した瞬間をとらえてカメラがズーム、少女のアップで映像はシネからスチルにかわり、一呼吸おいてスクリーンが暗転、行進曲「威風堂々」の演奏を背景に「りんご、ごじら、らくだ、だんご」はエンディングクレジットに移行しました。 |
白梅 紅梅 酒饅頭 (2010年2月) |
ウグイスかと思いましたがメジロでした (2010年2月) |
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しかし晴天の週末はオープン走行 (2010年2月) |
フードストラップで固定します (2010年2月) |
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トノボウを装着します (2010年2月) |
運転席と助手席はともに開放状態です (2010年2月) |
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| ドキュメンタリー映画祭の期間中、大倉山記念館の2Fホールは喫茶コーナーとして開放されます。 「どーしてつっついたのよ。」と家内。 「だって、あの生徒代表は彼女だぜ。 このパンフレットに6年生のときには生徒会長として活躍したと書いてある。」 「ええぇーっ。 ほんとう? すこしもわかんなかった。」 |
トノカバーで助手席を覆います (2010年2月) |
温風となって襟元から顔面に吹き出します (2010年2月) |
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左の袖口から入る空気で膨らむジャンパー (2010年2月) |
冬季限定週末昼間走行装備 (2010年2月) |
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日産ショールームの展示 たま電気自動車 (2010年2月) |
駐車中はトノカバーでコンパートメントを覆います (2010年2月) |
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| 天候に恵まれるように100個のテルテル坊主を友人と分担してこしらえることとなり「46個は私が作った」と説明する少女と「お祝いに酒を飲んだので酔っぱらった」という祖父の卒業式前日の会話。 淡々とした日常の映像に、少女や両親や祖父母の心の動きが描写されます。 上映後の監督の説明によると、2010年の今、少女は大学に通学しています。 「そろそろ梅が咲いているかもしれない。 」ということで上映時間90分の「りんご、ごじら、らくだ、だんご」を鑑賞した後、私たちは大倉山梅園に向かいました。 |
リバーシブルのジャンパーで視認性を向上させます 帽子 耳あて 皮のグローブ 絹のマフラー (2010年2月) |
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| 立春が過ぎたとはいえ、横浜はまだ寒い毎日です。 しかしながら2010年2月の週末の天候は快晴が多く、私たちはMGBのフードをたたんで外出しています。 |
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114)過ぎ去りし日々の夢 2010 寒い毎日が続いていても、2月末から3月初旬の横浜は、寒さが和らぐときがあります。 そんな早春の宵、足早に家路をたどる途中で、沈丁花の香りがする瞬間が、私は好きです。 その週の勤務が終わると、当然のことながら翌日は休日です。 真冬とは異なり寒くて目を覚ますことが少ないので眠りは深く、朝方に小鳥のさえずりで眼を覚まし、夢うつつの状態で「休日だから、もうひと眠り・・・。」 このようなときに、私はよく夢を見ます。 その多くが15年から20年ほど昔の世界を舞台にしたもので、数週間前や数ヶ月前の夢を見ることはほとんどありません。 しかも、小学生のはずの長男や次男がまだ幼児であったり、私がナビゲータ、運転免許を持たない家内がMGBを運転してメキシコでラリーにエントリーしたり、夢の内容は支離滅裂です。 |
助手席には母の日のカーネーション (1986年5月 横浜自宅前) |
オリンピックスタジアム (1995年9月 メキシコシティ) |
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カレラパナメリカーナ1996第3レグの応援 (1996年10月) |
海抜3500mの草原の次男と長男とマリアーノ (1996年10月) |
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(1996年10月) |
(1996年10月) |
(1996年10月) |
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(1996年10月) |
(1996年10月) |
(1996年10月) |
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2台が縦列駐車可能なアパートの駐車場 (1995年5月 メキシコシティ) |
ゼッケンは48 (1997年10月 サンタフェ) |
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| 日本にいるはずの家族がメキシコに移住していたり、カリブ海の島々や南米、ヨーロッパや日本の建物や風景が混在して荒唐無稽ですので「これは夢だ。」と夢の中で考えますが、夢の中でそう考えること自体がおもしろくて夢の中で笑い、眼が覚めて「こんな夢を見た。」と言って、また笑います。 |
家内にとっては生まれて初めての公道イベントでした 全部のチェックポイントを通過することが完走の必須条件です (1998年9月 テポストラン) |
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| 小学生や中学生の頃は、数週間前や数ヶ月前の夢を見ました。 ところが歳をとるにつれてスパンは徐々に広がりました。 大学時代の夢は、社会にでて10年ほどしてから見るようになりました。 そして最近、私はメキシコを舞台とする夢を見るようになりました。 「@睡眠中に脳が過去の記憶を整理しようとする結果が夢である。 A脳の1夜の処理能力は変わらない。」と仮定すると「歳をとるにつれて記憶の量が増えるので15年から20年が経過してから夢を見るのです」という説明が成立します。 若い頃は数週間や数ヶ月の経過ですんでいたのに・・・。 |
このツーリングの記憶も やがていつの日にか 「寝ては夢 覚めてはうつつ・・・」 (2009年10月) |
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115)来るべき日々への夢 2010 ヒーターの温度調整ダイアルをHOT、送風スイッチを強、吹出口をINTERIOR、そして防寒具を身につけ、さらに雨天や降雪ではなく、気温が氷点下でない場合、真冬でもそれほど寒い思いをせずにMGBでオープン走行が可能です。 2010年1月中旬から3月初旬の横浜はこれらの前提条件がそろった週末が多く、私たちはハードトップを外しフードをたたんだMGBで外出していました。 関東地方で春一番が吹き、春分の日が過ぎ、桜の花が満開となり、4月生まれの次男や末弟の誕生日が近づくと、毎年のことながら春の陽気にさそわれて、MGBでピクニックやツーリングに出かけたくなります。 1月から3月の週末は2台のMGBのエンジンオイルとオイルエレメントの交換やサスペンションのグリースアップ、スパークプラグの交換やエンジン点火時期の調整など自宅でできる軽整備に時間を割いて、準備を整えます。 2010年の春の主役は次男のCRZです。 |
(2010年4月) |
(2010年4月) |
(2010年4月) |
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(2010年4月) |
(2010年4月) |
(2010年4月) |
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2010年2月25日に発表されたハイブリッド車 (2010年4月) |
ホンダCRZ (2010年4月) |
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(2010年4月) |
(2010年4月) |
(2010年4月) |
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特徴あるフロントデザイン (2010年4月) |
2+2のハッチバッククーペ (2010年4月) |
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スピードメーター表示 (2010年4月) |
6速マニュアルトランスミッション (2010年4月) |
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| CRZは2010年2月25日に発表、26日に発売が開始されました。 環境対策を目的とする補助金と減税の対象車両です。 同様の主旨の優遇税制は、今から35年まえにも存在しました。 1976年4月以降に登録される新車には「51年度排気ガス対策」が義務化され、適合車に優遇税制が適用されました。 この当時の日本の排気ガス対策は、世界でもっとも高いレベルの内容でした。 各メーカーともに技術陣を総動員して規制を満足する新型車を開発しましたが、公表されるエンジン出力と車両重量から算出するパワーウエイトレシオは、私にとって悪夢とも思えるほど期待に反する数値でした。 MGBに乗ってからはパワーがすべてではないと考えていますが、スポーツタイプのハイブリッド車の選択肢がある2010年を、1975年当時と比較すると雲泥の差があります。 「昔とは違うね。」と、次男が取り寄せたCRZのカタログや見積書を前に家族に話しかけた2010年3月某日。 「13年以上たった車を廃車にしてCRZにするとインセンティブがあるのって、知ってる?」と次男が尋ねました。 「あぁ、エコカー購入補助金。」と長男。 「えっえっ、何それ?」と眼を輝かせる家内。 愛する子供の幸せを願うのは昔から変わらぬ親の情、それが親の道。 進むべき道は明らかねと、言いたげな眼差しで家内が私を見ます。 私に注がれる3組、合計6個のつぶらな瞳。 そして沈黙。 「やだ。」 私は情のない父親です。 なぜならば「父さんは僕のこと愛していないのか!」と息子に言われた場合に応えることができるのかと回答をためらったのは、ほんの2秒間だけだったからです。 |
次男にとって来るべき日々への夢を手にする手段 ホンダCRZ (2010年4月) |
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116)長野ノスタルジックカーフェスティバル 2010 5月初旬の週末、次男のCRZと1974年式MGB(KH◎N)に分乗した私たちは、甲信越方面へのツーリングに出発しました。 |
エムウエーブ 長野ノスタルジックカーフェスティバル2010の会場 (2010年5月) |
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| 宿泊先は長野市。 ツーリングの第1の目的はCRZでの高原ドライブ、そして第2の目的は長野市オリンピック記念アリーナのエムウエーブで開催される長野ノスタルジックカーフェスティル2010の見学です。 残念ながら長男は都合がつかず父や母と横浜の自宅でお留守番。 次男(4月29日と30日には横浜−新潟−横浜をCRZで往復)、家内そして私の3名で行動した1泊2日のツーリングでした。 |
ホンダスポーツ500 (2010年5月) |
ホンダスポーツ600 (2010年5月) |
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ホンダスポーツ800 (2010年5月) |
ホンダCRZ (2010年5月) |
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(2010年5月) |
(2010年5月) |
(2010年5月) |
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| 家内と私は1980年式MGB(KH◎S)で2005年と2009年の長野ノスタルジックカーフェスティバルに参加しました。 参加する車両は年々増加しており個人参加の車両展示も多く、自動車好きにとって非常に楽しいイベントです。 2010年は次男と一緒に3名での見学です。 ウッディパーク鹿沼ステージ2007に参加したりヴェトロモンターニャ2007にドライバーとしてエントリーしたりした次男にとって、屋内での車両展示イベントは初めての経験で、参加車両はもちろんのこと「発動機遺産保存研究会」による発動機の運転展示も印象的だったと言っています。 |
ダイハツオート三輪のポンプ車 (2010年5月) |
丁寧に復元されて新車同様の状態です (2010年5月) |
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| 特に印象的だった参加車両は、消防自動車仕様のダイハツオート三輪。 上田丸子地域自治センターによるエントリーで、ポンプ用の日産H20エンジンから放水ホースの真鍮製の金具にいたるまで丁寧に復元されており、60年になろうとする車齢を感じさせない見事なコンディションでした。 |
(2010年5月) |
(2010年5月) |
(2010年5月) |
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MGB ボディと同色のハードトップを装着 (2010年5月) |
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| 次男のCRZを考慮した場合、特に印象に残った参加車両がホンダスポーツ500です。 東京の晴海埠頭で開催された自動車ショーで1962年に試作車が公開され、1963年に発売が開始されました。 ホンダが最初に市販した4輪乗用車で、オープン2シーターのスポーツモデルです。 600ccエンジンを搭載し1964年に発売されたホンダスポーツ600、800ccエンジンで1966年に発売されたホンダスポーツ800、そして1991年発売のホンダビートや1999年発売のホンダS2000が受け継いだホンダのスポーツカーの原点とも言えるモデルがホンダスポーツ500です。 |
浅間山鬼押し出し駐車場で休憩 (2010年5月) |
雪が残る上信スカイライン (2010年5月) |
ビーナスラインの展望台で記念撮影 (2010年5月) |
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| ホンダ初の4輪乗用車にして初のスポーツカーたるホンダスポーツ500、21世紀に入りホンダが発売したハイブリッドスポーツカーのCRZ。 約50年、半世紀の時をこえて継承された設計、開発そして製造技術の対比。 ホンダスポーツ500、600、800。 さらにトヨタスポーツ800、パブリカコンバーチブル、フェアレディ2000、そしてボディと同色のハードトップを装着したMGB。 帰路のビーナスラインの展望台で知り合いになり一緒に記念撮影をしたユーノスロードスターとマツダロードスター。 カール・ベンツが申請したガソリンエンジン車の特許が認められたのが1886年。 124年後の2010年、次男が入手した自動車はハイブリッドのホンダCRZ。 様々な年式のスポーツカーに時代の変化や技術の進歩を感じるとともに、乗っている自動車の年式は違っても自動車好き人たちはみんな同じだとあらためて思った甲信越方面へのツーリングでした。 |
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117)リーフスプリング 2010 6月初旬の週末、1974年式MGB(KH◎N)の左のリーフスプリングを右に、右のリーフスプリングを左に交換しました。 左のリーフスプリングの経年劣化が原因で、空車時やドライバー1名のみの乗車時にリアボディが極度に左に傾いてしまうことが判明したためです。 リーフスプリングを左右ともに新品に交換するか、左側のリーフスプリングを焼きなまして成形した後に焼き入れを行って正常な形状に戻すかが、本来の恒久対策です。 しかしながら、自宅には新品のリーフスプリングの手持ち在庫はなく、熱処理をおこなう技術力も設備も保有していないので、その場しのぎの暫定対策をほどこしました。 左右のリーフスプリングの配置を変えただけですので、空車時にはリアボディが右側に傾きますが、乗車時の状況は改善されました。 |
ドライバーは私 助手席は空席 重量配分が運転席側に片寄って左に傾いています (2010年5月) |
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空車時の左後輪とボディの間隔 (2010年6月) |
あきらかに運転席側のリアボディが下がり過ぎです (2010年6月) |
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左後輪とボディの間隔 (2010年6月) |
1980年式MGB(KH◎S)の状態は正常です (2010年6月) |
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| 「ちょっとおかしいんじゃない。 左に傾き過ぎよ。」 5月初旬の甲信越方面へのツーリング。 後続する次男のCRZの助手席の家内が発した言葉が、そもそもの発端でした。 軽井沢から万座に向かう途中で1974年式MGB(KH◎N)の運転を次男に譲り、CRZの運転席におさまった私は、MGBよりこっちが良いと言ってCRZの助手席から離れようとしない家内から指摘をうけました。 「ねぇ、やっぱり傾いているわよ。」 |
工具もスペアタイヤも未搭載の右リアボディ (2010年6月) |
左リアボディ(運転席側)がすこし高くなりました (2010年6月) |
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| 運転している次男は私より軽量級ですが、走行中の1974年式MGB(KH◎N)はあきらかに左に傾いています。 特に運転席側の前輪に荷重が集中する下りの右コーナーでその傾向が顕著にあらわれます。 いままで1名乗車で走行中の1974年式MGB(KH◎N)を後方から観察する機会はありませんでしたし、自宅での点検・整備を行う際もボディの傾きを意識したことなんて、まったくありませんでした。 |
アクスルケースをジャッキアップ (2010年6月) |
2基のスタンドでボディを固定します (2010年6月) |
下降するアクスルケースはスタンドで保持 (2010年6月) |
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シャックルとフロントアイボルトを抜き リーフスプリングを取り外します (2010年6月) |
レバーアーム式の純正ダンパーは 1981年にKONIに交換済み (2010年6月) |
アクスルケースを自重で下げて U字ボルトとリーススプリングを合体 (2010年6月) |
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| 自動車整備士と自動車検査員の資格を持つプロフェッショナルの末弟の言葉によれば、ボディの傾きを含め静的状態での目視検査は基本中の基本。 2010年の8月末まであと3ヵ月。 1974年式MGB(KH◎N)に乗りはじめてから30年が経過しようというこの時期に、私は今まで基本中の基本を忘れていたことに気がつきました。 |
1974年式MGB(KH◎N) テストドライブの途中で立ち寄った山手公園 (2010年6月) |
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(2010年6月) |
(2010年6月) |
(2010年6月) |
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日本庭球発祥の地の石碑が設置されています (2010年6月) |
空車状態の車体の傾きを再確認 (2010年6月) |
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左のリーフスプリングを右に、右を左に付け替えただけで作業は終了。 空車時のボディの傾きは見なかったことにして、その傾きは私と家内の体重差で相殺します。 効果があるのは2名が乗車した時だけという安直な対策です。 CRZの助手席が良いと言い続ける家内を助手席に押し込んで、週末のショッピングを兼ねて1974年式MGB(KH◎N)のテストドライブに、そして山手公園の駐車場でボルトやナットの緩みと車体の傾きを再確認しました。 「私(重量級)が座る運転席側が助手席側よりはやく劣化したので、左右を付け替えた。」と説明すると、1980年以来MGBの助手席が指定席の家内(軽量級)は安心したらしく、穏やかな反応を示しました。 「とってもいい加減な解決策だけど、まぁ、そんなものでいいんじゃないの。」 |
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118)ショックアブソーバー テストドライブ房総半島 2010 1974年式MGB(KH◎N)の左のリーフスプリングを右に、右のリーフスプリングを左に交換した際に、ショックアブソーバーの減衰力を最弱にしたまま装着してしまいました。 横浜市内のテストドライブでは気がつかず、首都高速1号線を走行したときに思い出しました。 カーブを走行した際の車体の傾きや荒れた路面に起因する車体後部の上下の揺れが、すぐにおさまらないので気がつきました。 ダンパーの減衰力が不足しており、いつまでたっても揺れがおさまりません。 減衰力を再調整して、テストドライブを兼ねて房総半島にツーリングに出かけました。 |
房総半島でテストドライブ 犬吠埼の1974年式MGB(KH◎N) (2010年6月) |
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メーカーブランドはKONI 原産国はオランダ (2010年6月) |
減衰力を強めるときは刻印の heavy turn ⇒の方向に 弱める場合は反時計方向に回転させます (2010年6月) |
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手で伸ばしたり縮めたりして強さを確かめて 左右の減衰力を等しく調整します (2010年6月) |
ワインディングロードや高速道路で 車体の揺れが充分に減衰されることを確かめます (2010年6月) |
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| 5月末が結婚記念日なので、宿泊はホテル日航成田。 減衰力の確認を行う走行ルートは、高速道路そして定速で巡航することができる外房と南房総の一般道路です。 |
羽田空港 (2010年6月) |
ショッピング施設も整備されていました (2010年6月) |
1992年以降お世話になり・・・ (2010年6月) |
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第2ターミナル (2010年6月) |
ホテル日航成田 (2010年6月) |
1974年式MGB(KH◎N) (2010年6月) |
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水産物直売センター (2010年6月) |
月の沙漠記念館 (2010年6月) |
メキシコ記念塔 (2010年6月) |
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| ツーリング初日は、羽田空港を見学し、ホテル日航成田にチェックインした後は1992年以降に何回か入出国を繰り返した成田空港を訪問しました。 翌日は、潮来から銚子、そして犬吠埼へ。 県道30号線を屏風ヶ浦から九十九里浜へ南下し、御宿、勝浦、さらに鴨川へと移動しました。 その後は嶺岡林道を経由して外房から内房へ出て、金谷からフェリーで東京湾を横断し久里浜に上陸しました。 |
鳴き声を聞きながらの林道ツーリング (2010年6月) |
40年後に再訪したら全線舗装済み (2010年6月) |
東京湾をフェリーで横断 (2010年6月) |
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先の鞍の王子様と後の鞍のお姫様 おもいおもいに記念撮影をする観光バスツアーの人たち (2010年6月) |
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| 車体はリーフスプリングがささえるので、静止状態の場合はショックアブソーバーに荷重はかかりません。 従ってジャッキアップは不要でナットを緩めるだけで、ショックアブソーバーを取り外すことが可能です。 テストドライブの途中で減衰力の最終調整をする必要があるかもしれないと考え、念のために作業着を持参しましたが、最強位置から1回転戻してセットしたショックアブソーバーが満足できるレベルでしたので、作業着の出番はありませんでした。 |
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119)3度目のオーバードライブ 2010 1980年式MGB(KH◎S)は英レイコック社製の電磁式オーバードライブを装備しています。 MGBのオーバードライブの機構は耐久性があるとヘインズのマニュアルには書いてありますが、作動が不安定になることがありました。 しかし、過去2回の不調の原因は幸いなことに致命的ではなく、整備士資格のない私でも解決は可能でした。 |
車体をリフトアップしスタンドで固定 作業の準備を調えます (2010年8月) |
クロスメンバーの4本のボルトを外します ジャッキを下げると自重でミッションケースが下降 (2010年8月) |
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取り外すことができたスイッチ(左) 右は新品のスイッチ (2010年8月) |
押されたり戻ったりしてON/OFF 摩耗がない新品のスイッチ (2010年8月) |
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丸い部分が摩耗して4速シフト時もスイッチはOFF オーバードライブ作動不良の原因です (2010年8月) |
シフトカバーを取り外して手が届くようになった ミッションケース上面のスイッチ装着部 (2010年8月) |
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最初(2006年8月)の不調は、ソレノイドバルブとトランスミッションオイルを交換しフィルターやポンプを清掃した後300kmほどのテストドライブで解決。 2度目の不調時(2007年9月)には、シフトノブスイッチのON/OFFのみでソレノイドバルブにプラス電源を供給する暫定対策を施しました。 この暫定対策はミッションケースのスイッチを迂回する配線を引きなおすというもので、それ以降1980年式MGB(KH◎S)は1速から4速いずれの位置でもオーバードライブが作動する8速トランスミッション車でした。 |
新品のスイッチを装着 (2010年8月) |
配線を接続 (2010年8月) |
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霧降高原から赤木高原へ 太陽がのぼり明るくなった大沼 (2010年8月) |
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ヴュルツブルグからフュッセンまで366kmのルート ドイツロマンティック街道 (2010年8月) |
宇都宮から上田まで約350kmのルート 日本ロマンチック街道 (2010年8月) |
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| そして2010年8月、3度目のメンテナンスを実施。 オーバードライブのソレノイドバルブ用のトランスミッションスイッチを交換した1980年式MGB(KH◎S)は、ふたたび5速トランスミッション車に戻りました。 |
1980年式MGB(KH◎S)のヒーターON 気温は低く家内は膝掛けを肩に・・・ (2010年8月) |
日本のグライダー発祥の地 軽快な風切り音とともに着陸するグライダー (2010年8月) |
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富士見高原のレストラン カントリーキッチン (2010年8月) |
レストラン隣のベーカリー 石窯パン工房 (2010年8月) |
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オレンジ色のコオニユリ 2010年8月) |
霧ヶ峰高原ニッコウキスゲの道 (2010年8月) |
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| 車体をリフトアップし、ミッションケースをガレージジャッキで支え、トランスミッションのクロスメンバーを固定する4本のボルトを取り外します。 この状態でガレージジャッキを徐々に下げると、フロントエンジンマウントを支点にしてミッションケース後端が自重で下降します。 ミッションケース上面に装着されているスイッチに手が届く位置まで下降させてガレージジャッキを固定すると、後の作業はとても簡単。 スイッチを交換して配線を接続し、逆の手順でトランスミッションのクロスメンバーを元に戻します。 作業は約2時間で完了しました。 |
山田牧場を経由して快晴の小布施へ そして菅平高原から蓼科高原や富士見高原 八ヶ岳高原へ (2010年8月) |
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| 翌朝、私たちはテストドライブを兼ねたツーリングに出発しました。 関東、甲信越地方の高原を縦走しようという計画です。 最初は霧降高原。 赤城高原から草津温泉を経由して志賀高原へ。 さらに小布施から菅平高原、霧ヶ峰高原、蓼科高原、富士見高原、八ヶ岳高原。 そして石和温泉から河口湖、山中湖へ。 911kmを走行した2泊3日のツーリングでした。 |
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120)裾野 2010 8月には何をしようか・・・。 長男や次男や妹と連絡をとりあっていた末弟は、1泊2日のオートキャンプを企画しました。 インプレッサ、CRZ、1980年式MGB(KH◎S)の3台に分乗した私たちは、裾野市に向かいました。 気温が35℃以上の猛暑日が4日もある記録的な暑さの横浜を離れ、富士山の麓のキャンプ場で過ごした8月最後の週末のエピソードです。 |
長男 末弟 末弟の長女 次男 裾野市のオートキャンプ場 (2010年8月) |
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| 富士山の麓とはいえ日中の気温は思ったより高く、晴天のため直射日光も強烈です。 しかしながら湿度は低く、高原の風は涼しく、ピクニックチェアに座って木陰で過ごすひと時は、とても快適でした。 夕刻には妹が合流したので総勢は7名。 |
私たちのランタンと折りたたみ式ピクニックチェア 装備を持ち寄ってのオートキャンプ (2010年8月) |
太陽が西に傾いてとても涼しい夕刻 バーベキュー場に向かいます (2010年8月) |
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板状の富士山の溶岩でバーベキュー 焼き方の手ほどきを受ける長男と次男 2010年8月) |
夕食後の定番メニュー 花火 (2010年8月) |
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箒で掃いたような雲 高原の空にかすかな秋の気配を感じます (2010年8月) |
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| 夕食は板状に加工した富士山の溶岩を使ってバーベキュー。 ソース焼きそば+おにぎり、そしてビールにウーロン茶、オレンジジュース。 鉄板と異なり煙も焦げ付きもすくなく、素材の持ち味が引き立ちます。 夕食の後はランタンを灯したテントサイトに戻り、末弟が持参した花火を楽しもうという、夏のキャンプの定番コース。 しかし、次男がねこじゃらしを家内の耳元にかざして「蛾だ!」と言ったものだから、信じた家内はパニック状態。 逃げても逃げても蛾は耳元から離れません。 次男が追いかけているからです。 |
イネ科エノコログサ属の1年草 次男に「蛾」と言われて逃げまわった可哀そうな家内 (2010年8月) |
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| キャンプテーブルの周りを1周した後、私の横に逃げ込んでねこじゃらし騒動の幕がひかれました。 複数のランタンを配置したとはいえども夜のテントサイトは薄暗く、テントやタープにはロープが張ってありますし、そのロープはペグで地面に固定してあります。 幸いロープに引っかかることもペグに足をとられることもありませんでした。 次男が自分を騙すなんてまったく考えたこともない家内の、全幅の信頼が如実に示されたエピソードでした。 血をわけた息子が騙すなんて考えないのが、世の親の常。 だから振り込め詐欺が蔓延するのでしょう。 しかし家内に言わせると、私たちは大丈夫。 「だって銀行口座に預金残がないんだもん。 ない袖はふれないわよ。」 他方、数年前に三弟の名前で電話がかかってきた際に、「罪をおかしたのならば、ちゃんと罪をつぐなうように教育したはず」と母が応えたら、電話がきれたとか・・・。 うぅ〜ん、本当に私たちは大丈夫なのかも知れない。 |